古井由吉『東京物語考』が面白かった その2

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ひきつづき古井由吉『東京物語考』より、気に入った文章を忘れるのがもったいないので、メモ代わりに書きとめておく。

嘉村礒多の作品について触れている「幼少の砌の」という章から。以下〈 〉内は引用。

〈頼朝公御幼少の砌(みぎり)の髑髏(しゃれこうべ)、という古い笑い話があるが、誰しも幼少年期の傷の後遺はある。感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃なので、傷はたいてい思いのほか深い。はるか後年に、すでに癒着したと見えて、かえって肥大して表れたりする。しかも質は幼少の砌のままで。
小児の傷を内に包んで肥えていくのはむしろまっとうな、人の成熟だと言えるのかもしれない。幼い頃の痕跡すら残さないというのも、これはこれで過去を葬る苦闘の、なかなか凄惨な人生を歩んできたしるしかと想像される。しかしまた傷に晩(おそ)くまで固着するという悲喜劇もある。平生は年相応のところを保っていても、難事が身に起ると、あるいは長い矛盾が露呈すると、幼時の苦に付いてしまう。現在の関係に対処できなくなる。幼少の砌の髑髏が疼いて啜り泣く。笑い話ではない。
小児性を克服できずに育った、とこれを咎める者もいるだろうが、とても、当の小児にとっても後の大人にとってもおのれの力だけで克服できるようなしろものではない、小児期の深傷(ふかで)というものは。やわらかな感受性を衝いて、人間苦の真中へ、まっすぐに入った打撃であるのだ。これをどう生きながらえる。たいていはしばらく、五年十年あるいは二十年三十年と、自身の業苦からわずかに剥離したかたちで生きるのだろう。一審の苦にあまり耽りこむものではない、という戒めがすくなくとも昔の人生智にはあったに違いない。一身の苦を離れてそれぞれの年齢での、家での、社会での役割のほうに付いて、芯がむなしいような心地でながらく過すうちに、傷を克服したとは言わないが、さほど歪まずとも受け止めていられるだけの、社会的人格の《体力》がついてくる。人の親となる頃からそろそろ、と俗には思われているようだ。
しかし一身の傷はあくまでも一身の内面にゆだねられる、個人において精神的に克服されなくてはならない、克服されなくては前へ進めない、偽善は許されない、という一般的な感じ方の世の中であるとすれば、どういうことになるだろう。また社会的な役割の、観念も実態もよほど薄い、個人がいつまでもただの個人として留まることを許される、あるいは放置される世の中であるとすれば。
現代の都市生活者はやはり芯がいつまでも幼い。それは人の、葬式などの機会にしばしば露呈する。傷つきやすい、傷ついたらそれきりになりやすい。世馴れているようでも、難事に対処する能力はよほど衰弱した。親となっても小児に留まり、保護者責任者の立場に置かれても、一身の苦にかまけ、振りまわされる。人を殺してもまず自身のことを訴える。〉(p140-141)

引用終わり。長くなった。
永井荷風を扱った最後の章「境を越えて」もよかった。(昭和二十五年の「買出し」という小説の話。)また、途中で息継ぎのようにして、古井由吉自身の東京物語――略歴――も書かれている。昔ふうの匂いのする文章から、大正生まれかと想像していたら、昭和十二年生まれとの由。思ったよりお若いのに、ちょっと驚く。
by konohana-bunko | 2008-12-10 20:43 | 読書雑感 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


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