『私の食物誌』  吉田健一

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秋にブック・ダイバーさんにお邪魔した時に買った本。解説は金井美恵子。わたしの中で細々と続いている吉田健一マイブーム。

食のエッセイといえば、昔は開高健のものをよく読んでいた。開高健、高校の時は結構ハマっていたのに、最近は古本屋さんで見かけてもあまり手が出なくなってしまった。何でやろ。以前はわくわくしながら読んでいたのだが。痛快の裏返しで、ちょっと鼻についたり、荒っぽく思えたり……ああ、読み手が老化したということか。

今もし誰かに、開高健のおすすめは?と訊かれたら、エッセイよりも小説、中でも『夏の闇』と『耳の物語』と答えると思う。(どっちも読むのがしんどい本やけど。)特に、『耳の物語』、娘(道子)が出てくるくだりが好き。ひとつは、娘が何気なく口ずさんだ歌で、お父さん(健)がベトナムで観た映画のことを思い出すシーン。もうひとつは、夫婦喧嘩に参戦して、殴りかかってくるかと見えた娘が、「テッテケテー」とベッドに倒れ込んでしまうシーン。

閑話休題。この本に収められている食べものの話は、あまり蘊蓄には傾いていない。「これは何でできているのか知らないが」「自分が今までに食べた限りでは」といった台詞がちょこちょこ出てくる。だから、目次に羅列された美味しそうな食べものの名前に惹かれて、知識欲を満たそうと読み始めると、ちょっと当てが外れた感じを受けるかもしれない。
作者は自分が食べたことのある美味しいものを題材に、トリビアよりも、もっと本質的な話がしたいようだ。それが、比喩に表れている。文章そのものはちょっと癖があって、すらすらとは読めないのだけれど、ものの喩えがとても真っ直ぐなのだ。例えば、まっとうに手間をかけて作った美味しいものは、「青空のようだ」とか、「日向のようだ」とか。

以下引用。

《一体に人間はどういうことを求めて一人で飲むのだろうか。そうして一人でいるのに飲むことさえも必要ではなさそうにも思えるが、それでも飲んでいれば適当に血の廻りがよくなって頭も煩さくない程度に働き出し、酒なしでは記憶に戻って来なかったことや思い当たらなかったことと付き合って時間が過せる。
併しそれよりも何となし酒の海に浮んでいるような感じがするのが冬の炉端で火に見入っているのと同じでいつまでもそうしていたい気持を起させる。この頃になって漸く解ったことはそれが逃避でも暇潰しでもなくてそれこそ自分が確かにいて生きていることの証拠でもあり、それを自分に知らせる方法でもあるということで、酒とか火とかいうものがあってそれと向い合っている形でいる時程そうやっている自分が生きものであることがはっきりすることはない。そうなれば人間は何の為にこの世にいるのかなどというのは全くの愚問になって、それは寒いときに火に当り、寒くなくても酒を飲んでほろ酔い機嫌になる為であり、それが出来なかったりその邪魔をするものがあったりするから働きもし、奔走もし、出世もし、若い頃は苦労しましたなどと言いもするのではないか。我々は幾ら金と名誉を一身に集めてもそれは飲めもしなければ火の色をして我々の眼の前で燃えることもない。叉その酒や火を手に入れるのに金や名誉がそんなに沢山なくてはならないということもない。》

わたしは下戸だからお酒はいらない。焚き火がいい。浜辺で焚き火がしたいなあ。
Commented by Ajinci&Balleta at 2009-05-23 20:01 x
「開高健」でネットサーフィンしてしたところ、こちらに辿り着きました。

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Commented by konohana-bunko at 2009-05-24 22:08
Ajinci&Balletaさま コメントありがとうございます。blog拝見、あかぬけた雰囲気ですてきですね。
by konohana-bunko | 2009-02-10 21:24 | 読書雑感 | Comments(2)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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