『中勘助随筆集』より 「貝桶」

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中勘助は『銀の匙』『蜜蜂・余生』、この『随筆集』の順に読んできた。『銀の匙』は、中勘助がどんな人なのか特に調べることもなく、さらっと読んだ。いかにも育ちのよさそうな(岐阜今尾藩士の子で、実際に育ちはいい)繊細な文章にうっとりしたり、(よくもまあこのような細々としたことを大切に覚えていたものだなあ)と感心したり。
そして、その後読んだ「蜜蜂」では正直、うちのめされた。これはちょっととっさに感想なんて書けない。業の深い家族を抱えて懸命に生き、家族に精一杯愛を尽くし、ついに力尽きて死ぬ嫂の話。家族というものがときに抱える闇の深さを垣間見たい人はこれを読むといいかもしれない。

『随筆集』から、以下引用。

《田舎には珍しくないが都会らしい都会では決して見られないようなしんみりとしてかすかに寂しみのある路である。それはどこまでも一筋に長くのびて、よく繁った生垣のあいまにぽつりと店屋などがある。そこには丈夫な荒骨の腰障子がたってふっくらした感じのする障子紙に 荒物 とか 塩せんべい とか商う品物が黒黒と書いてある。私は これは酒屋だな とか ここは穀屋だな なぞと思いながらゆく。穀屋といえば、そこには白豆や黒豆、粟、黍、ささげなど、それぞれの粒、形、色、光沢をもった種種の穀物や、それをひいてつくった粉類が浅い桶にはいって並んでるであろう。いったい私は美しい穀物を見たり、その粉の匂をかいだりするのが好きなのだが、またそれがただの砂金や宝石のたぐいではなくて食べては体の養いとなり、蒔いてはみずみずしい草木となるというところにもなにか有り難いような、不思議なような、いいしらぬうまみのある愛著をおぼえるのである。亭主はつるさげた束から紙袋をちぎってふっと息でふくらませ、底ぬけみたいに口の太い漏斗をさしこんで一合二合とはかってくれる。そのあいだに私は赤や青に彩どった花麩に見とれたり、昆布や椎茸の匂を吸いこんだりしている。》(p69-70「貝桶」より)

佐藤佐太郎の「店頭に小豆大角豆など並べあり光がさせばみな美しく」をちょっと思い起こす。梶井基次郎が「城のある町にて」で、高台から見下ろす街並みを描写するくだり、あれだとか、こういう、何ということもないものをこまごまと書きつづった文章がわたしはどうしようもなく好きだ。
Commented by やまんね at 2009-03-15 11:56 x
なんて素朴な風景なのでしょう!あのお山は香具山ですか?
中勘助は『銀の匙』が好きです。子供のそのまんまの心を衒いも誇張もなく書かかれていて純粋な気持ちになれました。夏目漱石のことも見たまま、思ったままに述べていますね。「貝桶」の抜粋を読みながら、この写真と通ずるものを感じました。
Commented by konohana-bunko at 2009-03-15 21:48
やまんねさま 左の山は畝傍山です。右の立木の向こう、遠くに見えているのが二上山です。
「夏目先生と私」、わたしも面白く読みました。つづき書きますね。
by konohana-bunko | 2009-03-14 22:15 | 読書雑感 | Comments(2)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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