『中勘助随筆集』より「夏目先生と私」
2009年 04月 06日
《「猫」が評判になったのは私たちが先生の手からはなれた二年か三年の時だった。世間で評判なとおり寮内でも非常な評判で、私の部屋にも誰が買ったのか借りたのか「猫」の載ってるホトトギスがおいてあった。しかしその頃の私は詩歌ばかりを愛読して散文というものは見向きもしなかったのみならず、寮の部屋では教室とはうってかわった饒舌家、諧謔家……であったにかからわらず作物のうえの諧謔滑稽に対しては嫌悪をさえもってたので「吾輩は猫である」はその表題からして顔をそむけさせるに十分であった。その後私が大学へはいって「猫」なぞはもうよほど古くなってからやっとはじめて「猫」を手にとってみたが、はじめの百頁内外で厭きてしまったきりいまだにその先を知らない。》(p34-35)
中勘助は狷介な学生だったのだろうと思う。先生だから、評判だからと畏れ入るようなところは微塵もない。美に対する好悪、人に対する好悪は露骨なまでにつよい。だが、この(悪口の?)書きぶりにはあたたかみがある。
次は、「銀の匙」の原稿を読んだ夏目先生が、勘助に感想を話すところ。
《先生はまた「銀の匙」を平面的だといって、廻り燈籠みたいにいろんな事件人物が出てくる間に自然に主人公の正確がわかるようになってるんだね というようなことをいった。先生が
「ありゃいいよ」
ともう一遍くり返したとき私はすかさず
「よければまだ先があります」
といった。先生はちょっとたじたじとした様子で
「もう沢山だ」
といったがすぐにもり返し反対に攻勢をとって
「なかなか面の皮が厚いな」
といった。皆が笑った、私も一緒に。》(p48-49)
最後はほほえましかったこのくだり。
《多分その翌春私は原稿のことで一人で先生のところへ言った。先生は銭湯に出かけるところだったのでいわれるままに上って待っていた。この日は書斎の方へ通された。小さな人が出てきてなにかいたずらをしながら私と話していた。やがて帰ってきた先生は小さな人を見て笑いながら》
「お前が相手をしていたのか」
といった。気分がよさそうに見えた。そして小さな人にいろんな冗談をいった。
「貴様は乱倫不逞の徒だぞ」
なぞといって なんのことだか別るか という。小さな人は芋虫みたいに体をくねくねしながらつまらなそうに
「わーかーらーなーい」
という。先生はおかしそうに歯を出して笑った。》(p50-51)
中勘助の文章は、きれいで悲しい。二度とたどりつけない木陰を流れる湧き水のようだ。そんな中で、夏目先生とのやりとりは、遅春の日が直に差しているように思えた。
こんな調子で引用しながら一冊を反芻するのは楽しい。せやけど捗らんなあ。