『森の生活 ウォールデン』上・下 H.D.ソロー
2009年 04月 21日
タイトルが気になって、ちょっと読んでみたいな、と思いながらずっとほっぽっていた本。どこで買ったのか思い出せない。思い出せない時は大概心斎橋のブなので、これもそうかもしれない。この岩波文庫には、ウォールデンの森や湖のモノクロ写真も入っている。この写真の入り方が、過不足なく、説明に陥っておらず、とてもいいと思う。
この放置本を読めたのは、玉城徹の『近世歌人の思想』(不識書院)、橘曙覧の章に、ソローが出てきて後押ししてくれたから。以下、『近世歌人の思想』から引用。
《ソーローは妻子などもたなかった点で、曙覧と条件がいたく異なっているが、しかし、この相違は基本的なものではない。ほとんど魂の衛生学とよんでもふさわしいほどに、感情の幸福を、あくまでも清潔に、個のものとして保ってゆこうとする点では、二人は驚くほどよく似ています。
時々、夏の朝、いつでも水浴をすませたあと、日の出から正午にいたるまで、わたしは日あたりのい戸口で想いにひたって坐りこんでいた。松やサワグルミやウルシのただなかで邪魔するもののない孤独と静寂の中で。
たのしみは艸のいほりの筵敷ひとりこころを静めをるとき
こう並べてみれば、ソーローの文章は、曙覧の歌の詞書きとしても差しつかえがないほどです。ペルリ提督の艦隊が、間もなくおし渡ろうとする太平洋を隔てて、孤独な二つの☆が、みずからは知らずに、照らし合っているように見えることは、わたしたちの心に不思議な感慨をもよおさせるでしょう。静寂と瞑想とを好む、この二つの精神が、その純粋さのゆえに、一種の狭さ、もしくは微弱さを露呈しなければならなかったことは、やむを得ないことなのです。それは、精神の弱さに由来するものではありません。ただ彼らの精神が「地獄」とは無縁であったことを証するものなのです。》(p276-277 「第7章 曙覧文学の史的位置」より)
こんなふうに書き写していたらまた玉城徹が読みたくなってきた。
いや、ソローの話。『森の生活』上巻より、以下、(ああ、ええなあ)と思ったくだりを引く。
《私はかつて、三つの石灰石を机の上に置いていたことがある。だが、心という家具のほこりはまだまったく払っていないのに、これらの石ころのほこりは毎日払わなくてはならないことがわかって恐ろしくなり、いや気がさして窓のそとへ投げ捨ててしまった。こんなありさまだから、私に家具付きの家などもてるはずがあろうか?私はむしろ戸外に座っていたい。人間がそばで土でも掘り返さないかぎり、草には塵ひとつつきはしないのだから。》(p69「経済」より)
《私が森へ行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するようなはめにおちいりたくなかったからである。人生とはいえないような人生は生きたくなかった。生きるということはそんなにもたいせつなのだから。また、よほどのことがないかぎり、あきらめるのもいやだった。私は深く生きて、人生の精髄をことごとく吸いつくし、人生といえないものはすべて壊滅させるほどたくましく、スパルタ人のように生き、幅広く、しかも根本まで草を刈り取って、生活を隅まで追いこみ、最低の限界まできりつめてみて、もし人生がつまらないものであることがわかったなら、かまうことはない、その真のつまらなさをそっくり手に入れて、世間に公表してやろうと考えたのであった。》(p162-164「住んだ場所と住んだ目的」より)