歌会に行って新緑を見る

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3日(日)、日月西日本歌会のため京橋へ。会場は大阪ビジネスパーク、パノラマスカイレストランアサヒ。今回は13名の出席で、やや少なめの人数で、ゆっくり歌を読むことができた。いつもは20人とか、多い時は25人くらい集まるので、二次会はちょっとさびしかった。かつおのたたきが美味しかった。スパイシーチキンがほんまにスパイシーで辛かった。

詠草の余白に書いたメモから。
・野暮ったくとも事実に即したことばを使う。
・うたは結句で逃げない。
・モノだけを差し出す。思わせぶりなことばを使えば余韻が生まれるというものではない。
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歌会にはいろんな人が集まって来る。歌に向かうスタンス、歌(歌会)に求めるものも人それぞれだ。
しかし批評はどんな歌にも平等にやらなくてはならない。
と、そんなことを帰りの電車の中でつらつらと考える。
例えば……「かわいがっていたウサギが死んでしまって悲しい」という歌があったとする。それを読んだ評者が、
「わたしも昔ウサギを飼ったことがあって、その時のことを思い出し、読んだだけで悲しくて胸がいっぱいになってしまいました」と感想を述べたとする。
日常の人との関わりでなら、もしわたしがさほどウサギが好きでなかったとしても、「そうですよね、それは悲しいですよね」と、協調するだろう。しかし歌会という場で、歌の批評をするとしたら。
「共感を呼ぶ」ということと、「歌が一首を成している」ということは、別ものだ。
「ウサギかわいさはさておき、この表現にはわかりづらいところが」とやらなければならない場合も出てくる。
そのような肝心な場面で、臆して逃げてしまったことがあった。(誰もが表現者として腹を括ってここに座っているわけではない)などと余計なことが頭を過ぎって――。それは本当の思いやりではなかった。単に批評から逃げて楽をしようとしただけだ。

別に、今回の歌会で、こんなできごとがあったわけではない。ただ、歌会に出たら、歌会について考えることもある。わたしも折々、「共感の罠」に嵌る。だからこんなことは書きにくいんだけれども、自戒のために書いておく。
Commented by つぼ at 2009-05-12 12:47 x
出欠葉書に書いておいたらどうでしょう。「出て来てもいいけど、ちゃんと腹括ってから来いよ」
親分がいつか「あの人たち(一部のおじさんたち)、初心者にきびしいこと言うでしょ・・・」とやや不快げにおっしゃっていたことを思い出します。と思ってみてると、ご自分でも相当なことをおっしゃっているようにも見え。
「うさぎが死んで悲しい」歌を突然私に振られたら、「率直に飾らずに心境を述べたいい歌です」と言ってしまうことでしょう。
(私、歌なんかわかんないよ~)
Commented by konohana-bunko at 2009-05-13 19:22
いえいえ(^^;)誰にどうこうしてほしいということではなく……。本当の意味での思いやりを忘れんようにせなあかんな、と、そんなことを考えただけです。
by konohana-bunko | 2009-05-08 21:57 | 日乗 | Comments(2)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


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