すれ違う詩ふたつ

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心斎橋のブで、『土左日記』(岩波文庫)を買う。こんな古典も最後まで読んだことがなかったので、読む。くわしい補注がついているので、ゆっくり読めば何となくは読める。(読めた気がする。)思いがけなかったのは、土左日記は単なる紀行文ではなく、亡くした娘を恋う歌日記だったということ。聞きかじったような、かいなでのあらすじを鵜呑みにしてはいけない。反省。

それと同時進行で、ポール・オースターの『孤独の発明』を読んだ。こちらは何とも不思議な小説。中心を貫くできごと――父との死別、息子との離別――もある。ぎょっとするような事実――祖母の祖父殺し――も登場する。でも純粋な物語というのでもない。物語を書きながら作者は考える、その思考が物語と並行して語られる。後半になればなるほど物語は層をなし、分厚い伴奏のように後ろへ回り、思考そのものが直に読者の方へ押し寄せてくる、その押し寄せを作者と一緒に体験させられてしまう、そんな本。

『孤独の発明』より、以下、「マラルメが死に瀕した息子アナトールの枕もとで書いた断片の訳」の一部を引用。

《ああ!わかってくれるね
私が生きることに
甘んじるのも――おまえを
忘れているように見えるのも――
それは私の
痛みに滋養を与えるため
――そうすればこの見せかけの
忘れっぽさが
  もっと多くの涙となって
激しく湧き出よう、この

生のさなか
ふっといつか
おまえが
私の目の前に
現れるとき



本当の悼みは
  アパルトマンで
――墓地でではなく――

      家具



いないのだ とひたすら
見出すこと――
小さな衣服やら――
何やらのただなかに
あって――》(p149-150)


そして『土左日記』より、以下引用。

《こゝにむかしへ人の母、ひと日かたときも忘れねばよめる、

すみのえにふねさしよせよわすれぐさしるしありやとつみてゆくべく

となむ。うつたへに忘れなむとにはあらで、恋しき心地しばしやすめて、またも恋ふるちからにせむとなるべし。》

写真は8日(土)、谷町9丁目の妖しい空。
by konohana-bunko | 2009-08-11 21:18 | 読書雑感 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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