『百年目の青空』  宮沢章夫

c0073633_2245275.jpg
日常の中にあるささいな凹にはまる。普通ならはまったことにすら気付かないまま先へ行ってしまうその凹にあえて囚われ、その上もっともっとと掘り下げてみる。無意味だとわかっていながらやってしまう。これを「はまり癖」あるいは「堀り癖」と呼ぶとすれば、宮沢章夫は「はまり癖」の人なのだろう。わたしはこの手の「はまり癖」から生まれる笑いが好きだ。大真面目に真剣に掘るのがコツだ。

日常のくだらない行為に、どうして「作戦」とか「大作戦」ということばを付けるのか?付けると、どうなるのか?この凹について掘り下げて考える「作戦の思想」(p124-125)という章から、下に引用する。



私がなぜ、「作戦」について意識的になったかを語らなければならない。
話は、子ども時代の映画体験にさかのぼる。子どもの頃に見た映画のひとつに、『バルジ大作戦』がある。友だちの誰が言い出したのかわからないが、ドイツ軍のタイガー戦車がかっこいいというので、私たちはそれを見ようと家から歩いてすぐの場所にある映画館に入った。スクリーンに登場する戦車を見てただそれだけで満足していたのだろう。記憶にあるのは、戦車のキャタピラーと炎上する戦車の映像だけだ。大人になってから、あらためて、『バルジ大作戦』を見て驚いた。思わず声に出して言ったのだった。
「バルジってこういう作戦だったのか」
それはドイツ軍の最強の戦車隊に対し、連合軍が実行した給油路を絶つ作戦だ。子どもだった私が、そんなことにまったく気がつかなかったのだとしたら、いったいスクリーンに映し出される映像になにを見ていたというのだろう。
戦車だ。
ただただ、戦車しか見ていなかった。そして、このことから、ひとつの発見があった。
「子どもに作戦は無理」
by konohana-bunko | 2009-11-04 22:46 | 読書雑感 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
プロフィールを見る
画像一覧