玉城徹

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夕かぜのさむきひびきにおもふかな伊万里の皿の藍いろの人  『汝窯』より

もも長に樹皮をかぶりて佇ちをれば芽ぶきし肩に羽ぶく鳥かげ

いづこにも貧しき路がよこたはり神の遊びのごとく白梅

山ふかく大しらびそはみどり濃き樹とこそたてれ天つ日のひかり



水に泛(う)くユリカモメらををりをりに嚇すなどして鳶こそ遊べ  『石榴が二つ』より

赤らひく鳶のからだが自在なる翅(つばさ)のもとにつきたりあはれ

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手許のノートに貼ってある、短歌総合新聞「梧葉」の切り抜きから以下引用。日付がわからないが、2006年後半から2007年前半の記事と思われる。

《わが一首  南有樛木  永田典子(日月)

ながく生きてわが用ひ来し雅印「南有樛木」朱泥沁みたり

手許に置く幾多の雅印の中でもっとも私が好きなのは仮名用に使う三分角の「南有樛木」という雅印である。

遠い遠い日の夏の夜だった。場所は深夜のプラットホーム。歌会のあとの二次会三次会を経て深夜の帰宅となったわれわれであった。夏特有の生ぬるい風が吹いていたのを覚えている。
「遊印に刻むいい言葉ないかな」とひとりごとを言った私にその人はいった。「なんゆうきうぼく…」だが声が低い上にあらぬ方向を眺めつつ言う言葉は聞きにくかった。え?と聞き返す私に再びその人は呟くように言った。「南有樛木(なんゆうきうぼく)、南ニ樛木有リ」途端に私は決めた。今度の雅印はこれにしよう!と。
私にとって、これと思う言葉に出会った時のよろこびは大きい。南有樛木とは私も知る詩経国風の中にある詩の一句である。南の方に有るのは枝を下にさしのべた木、人を幸福にする樹、などの註もある。仮名作品用の印として刻字もなるべく嫋やかにと注文したこの印、以来、何十年使い古るされて印影も心なしまろやかになったようだ。印材の肌に滲む朱泥の翳も私は好きだ。印も古り、私も老いた。彫った者が彼岸に渡ったのは何年前であったか。そして夜のプラットホームで「南有樛木」と呟いていた人も終の栖家を求め、昨今、老人ホームに入所したときく。
“歳月不人待”である。》
by konohana-bunko | 2010-07-14 10:40 | 読書雑感 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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