元興寺 須田剋太展

二月某日 曇。久し振りに近鉄橿原線に乗る。車窓から、田んぼや畑にぽつりぽつり立っている木を見る。ところどころ梢が、白く、また紅く色づいていることで、ああ、梅の木だなとわかる。遠目に見る梅の花ざかりは淡い。田畑の畦にも、わずかに青く草の芽が兆している。
大和西大寺で奈良線に乗り換え、近鉄奈良駅で下車。元興寺まで歩く。慣れた道の筈が曲がるところを間違え、ならまちの中を大きく迂回する。猿沢池南側の「ならまち」と呼ばれる地域は、かつて元興寺の境内だった。昔の境内の中を、元興寺さんどこやどこやと探して歩くのだから世話はない。もちろんすぐにたどり着いた。
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御存知、元興寺は飛鳥時代からの歴史を持つ古刹。南都七大寺の一つに数えられ、東大寺・興福寺とともに世界遺産に登録されている。ここでいま「須田剋太展」が行われている。(会期:2月11日―27日。)

数年前、近鉄百貨店文化サロンの一日講座に参加したことがある。奈良の古寺案内の講座で、いくつかあったコースの中から、わたしが選んだのは元興寺と興福寺を巡るものだった。二つのお寺で講話を聴き、元興寺では禅室、興福寺では三重塔内部の見学をさせてもらった。いずれも普段は見られないものということで、貴重な体験だったわけだが、その日見たものの中で一番印象に残ったのは、元興寺の禅室に出ていた衝立だった。
畳一枚より大きな衝立には、須田剋太さんの手でこう書かれていた。

我れに
狂器を
与へよ
さらば
我が八十年
の生涯を
破棄せん
 W.B.イエィツ詩文

須田さんの書をまぢかに見たのは初めてだった。おそろしく大きな、ばきばきとした文字。詩の意味を胸に落とし込む前に、文字そのものに、がっ、と目を殴られてしまった。
あの衝立に、今日ふたたび会えるかもしれない。
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元興寺さんに着くと、本堂の奥、普段は閉まっている禅室が展覧会場になっていた。大衝立が六枚(十二面)、他に絵や書など、須田さんから寄贈された七十点ほどの作品が展示されているという。
靴を脱いで、縁側から入る。禅室の畳がひんやりしている。
室内は、絵の展示をしているとは思えないくらい薄暗かった。明かりは、まばらな蛍光灯と、障子越しの外光だけである。入口近くで立ち止まって、目が慣れるのを待った。(昔はここにぎょうさんお坊さんがいたはったんやな)と天井を見上げた。お坊さんは電灯などなしで、暗い室内で読み書きしていたのだ。そう思ううち、だんだん気持ちも落ち着いてきた。

畳を踏みしめて、作品の前を回る。やはり、衝立がいい。衝立の絵で気に入ったのは、薄墨桜。いかめしい武人や鬼が描かれた地獄絵の裏に、赤い空を天人が飛んでいる極楽の図。かぼちゃやひらめが描かれたもの。手をつないだ男の子と女の子の絵、着物の柄は、色紙を小さく千切ったものが貼ってある。書も多い。須田さんの絵や文字は、決して華やかという印象ではない。しかし、歴史を経てきた元興寺という「場」に、須田さんの絵は古い材木のようにしっくりと溶け込んでいるように見えた。何より、美術館などと違い、作品と人を隔てるガラスや柵がないため、絵の匂いが嗅げるくらい顔を近づけて見ることができる。どっぷりと墨が乗った文字が乾いて、細かく光を返しているのもよくわかった。

「われに狂器を」の衝立も、あった。衝立の前に、先に来た母娘とおぼしき二人がいた。ひとりが声に出して詩を読んでから
「どういうことやろなぁ」と問うと
もうひとりは「ようわからへんなぁ」と答えていた。
わたしも斜め横に立って、一緒に考えてみた。――正気の器にはできないものが、狂った器なら、生み出せるかもしれない。もしそうなら、自分は狂器が欲しい。それが得られるのなら、八十年の正気の人生を捨ててもいい……。(もっと、もっと)と表現の向上を望む詩人や画家のこころに、このような願いが兆す刹那があったとして、誰が責めることができるだろう。表現する者の切ない願いが、ここに叩きつけられるように書かれているのだ。

わたしは書のことは何も知らないが、須田さんの字は上手いとか巧みだとか、そういうのとは違う気がする。何かこう「生身」な感じがするのだ。「狂器」の衝立に二度出会って、ようやくそのことがはっきりとわかった。なにごとにつけ、本当にわたしはスロー・ラーナーだ。
禅室から出ると、南向きの縁側には午後の日がいっぱいに差していた。縁側に少しの間腰掛けて、ぼんやりしてから帰った。

須田剋太展を見た翌月、東日本大震災が起きた。春休みに入ってから、こどもを連れて東京から帰省して来た友人が、どこよりもまず「奈良に行きたい」と言ったのには驚いた。大きな被害はなかったにせよ、彼女もうちのめされていたのだと思う。連れだって訪れた元興寺では、禅室の軒下に、小さなすみれが咲いていた。春になればすみれが咲く、このあたりまえの平安が、どこでも、いつまでも続きますように――。手を合わせて祈りたい気持ちで、わたしたちは小さな花を見つめていたのだった。
by konohana-bunko | 2011-03-09 00:31 | 日乗 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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