戒壇巡り

月夜の路地を自転車で走る。道沿いの用水路に暗い水が流れている。水面に月が映っていはしないかと見るが、ただ暗いだけ。
四歳の時、母と歩いた夜道の暗さを思い出す。福塩線の新市駅から母の実家までの田舎道。街灯のない道は心細く、その横に柵一つなく口を開けている水路の暗さは尋常ではなかった。
母はよく父と諍いを起こした。その度母はわたしを連れて実家まで帰るのだった。当時新幹線はまだ開通していなかった。北摂から、国鉄を乗り換え乗り換え目指す備後は果てしなく遠かった。何時になったらたどり着くのか。途中で何度もべそをかいて、母のスカートを引っ張ったが、母は知らん顔をしていた。母にも、どうすることもできなかったのだ。
あの夜見た怖ろしいもの、虎の如く怒りに燃える母の眼。パンタグラフの青白い火花。わたしの目の前で通過列車に跳ねられ、駅のホームに飛散した新聞の束。そして用水路の闇。どの記憶も今は絵本の挿絵のように鮮やかで、やさしい。あの長い夜はまさしく、わたしと母、ふたりにとっての戒壇巡りだった。
by konohana-bunko | 2011-10-13 20:28 | 空中底辺 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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