『魚雨』より

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歌集『魚雨』(うをあめふる) 片山貞美 (不識書院 1998)より、以下引用。



人の吹く口笛に似て鳴く鳥に真似て拙(つたな)く鳴く鳥のゐる

つい昔この堂屋根の葺き替へに大判百枚棟(むね)より出づと

人集(つど)ひ楽しき歌かひとりにて寂しき歌かひとりなるがよし

声ありて見れば電柱を降りくるが穿(は)く長靴を釘にさばきて

覗ければ金網あらく鉄道の萱(かや)枯れ伏すに油菜咲けり

構内に松の群れたるいづれにも菰(こも)除きありて春の雨降る

自転車を押しくる真面目(まじめ)なる顔に見れば後輪のパンクしたりし

わが前を行きてペダルを踏みに踏む目まぐろしさに離れつつゆく

置去りにせる自転車の数無きが片寄せられてわが出だしもならず

櫟原(くぬぎはら)梢平らにながめしが通り抜けたり坂くだりきて

小兵(こひやう)にてまめならざりし二等兵奈良馬吉君すこやかにありや

停車せるペリカン便の幌(ほろ)の内に荷をおろすなる音のしてをり

此(こ)も縁(えにし)ありしひとつにほととぎす薄色さびし秋の日なかに

懲りずまに山路をきたり脱ぎ捨てある軍手を見れば心なごむに

二もとの槓杆(こうかん)を握りゆすぶれば生(なま)コンクリート切るるまで落つ

電柱を踏まへて腰を綱にかけ俯く見ればペンチを使ふ

落ちくだる全き瀧に裾虹(すそにじ)のなびきて久し我は立ち去る

差しかはす桜の枝の咲き満てば雉鳩が踏む花びらが降る

走りしは鳥の影にて秋の日の股(もも)にあたたかくペダル踏みゆく

曳き出すに人のなやめる駐輪の間を通り広場に降りぬ

出でむかと見るにつぶつぶ泡ばかり泛きては散らひ亀は出でこず

蓮の花おもかげにのみたちながら蛙鳴くなり蓮の葉陰に

炬燵板持出し四脚(しきゃく)差込むに灯ともしもみつ赤くともりつ

新しき眼鏡用ひてまなかひに活気を感じ裏通り来ぬ

欲りするもあながちなれば水にただ沈みたるさへうまし豆腐は

淬(にら)ぎたる無反(むぞり)のたぐひ好きこのむ人はとあらば蓋ししたたか

みなぎりて草ひたしつつ流れゆく彼処(かしこ)かがやき躍りに躍る

風に乗る声は競技を呼びたてて人影乏し照る秋の日に

燃えくづれたる骨およそ納むれば余れる屑は掃きよせて入る

好まねば聞きて忘るる花の名のまた咲きいでてながめやるのみ

人の筆刻(ほ)りて楽しきしるべぞと此処にもすわる山の辺の道

見て通る塩を盛り銭(ぜに)の散らばれる巌(いはほ)もあるは古きゆゑよし

雑巾のごとくも猫の骸(むくろ)とぞ泣菫(きふきん)昭和はじめの文に

はからずき東大寺山堺四至図(さんかいしいづ)の墨かするるもゆかしくぞ見る

兎も角もあらねど蕪村また大雅思ひ出づるは椨(たぶ)のそよぐに

踏みぬべく反(そ)りの大いなる橋にして人の登るにまこと大いなり
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Commented by やまんね at 2012-04-26 18:26 x
日常をすくい取る静かな眼差しとその世界観にひかれます。
Commented by konohana-bunko at 2012-05-01 14:54
お返事遅くなりました。そう、その眼差しと、あとごつごつした、岩みたいな文体が、シブいなあ、格好いいなあと思いました。
by konohana-bunko | 2012-04-25 09:50 | 読書雑感 | Comments(2)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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