吉本隆明『良寛』を読む
2012年 07月 11日
〈良寛は「良寛禅師戒語」というものを九十ヵ条にわたって書きとめていますが、これはじぶんが他人と喋言るときにでてくる嫌なばあいを、よくもこれだけ鋭くとりだしたものだとおもえるほど拾いあげています。
これを読んでいると良寛のすさまじさがわかるような気がします。〉(p57)
この九十か条の中から、著者は項目を挙げてゆく。
「ものいいのきわどさ」「いさかい話はよくない」「人のもの言いきらぬうちにものを言う」「人の隠すことを明かす」「推しはかりごとをまことになして言う」「息もつき合せずものを言う」「品に似合わぬ話をする」「人の器量のあるなしを言う」など、など。
〈もちろん良寛自身も、たぶんしばしばひっかかっていたから、こういうことに気がついたのだとおもいます。これはじぶんにたいする戒めであり、また同時に他者にたいする鋭い批判だとおもうわけです。〉(p58)
〈またこの九十ヵ条のなかには子どものことについて幾つか書かれています。子どもをたぶらかしたり、だましてはいけないといっています。〉(p58)
また、生活体験も十分にないうちから知恵をつけてはいけない、という項目もある。そして。
それから「かりそめに童にものを言いつけてはいけない」。これもやはりおなじようなことで、大人がやればいいこと、たとえば「隣家へ言って明日の米を買うお金がないから貸してくれといってこい」みたいなことを子どもにいいつけてはいけない。つまり、いつでも子どもを使ってはいけないということではなくて、子どもにさせれば誤解するにきまっているようなことについて、子どもを使ってはいけないといっているわけです。それから、子どもが泣いて帰って来たときに「誰が泣かせた」と言ってはいけない、つまり、子どもが泣いているときに「誰がやった」とか「誰が悪い」ということを子どもにたずねてはいけない。これもさまざまな経験を経た後にだったらいいけれど、子どもはそういう意味の判断はできないし、やっても不正確だからそういう不正確な子どもの心のなかに「誰が泣かしたの」というようなことをたずねて先入感を植えてはいけないというのです。こういうことを言葉の戒律として書きとめた良寛という人は、人と人とのあいだに言葉がひき起こす場面にとても鋭敏な人だったことがよくわかります。〉(p59)
良寛さんがこどもを見る眼差しって、すごいなと思う。こどもだけじゃないか、そう、人間を見る眼が。
江戸の封建制の下でも、現代のソーシャル・ワーカーさんや精神科のお医者さんでも、心ある、愛ある人は、同じように思いやりを抱き、思いやりのあることばを話してくれるものなのかもしれない。