取り戻す

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春頃から身体感覚が以前と違ってきた気がする。五感が冴えてきた(よく見えるとか聞こえるとか)というのではなく、感じたことが脳で処理されて身体に反応として出るまでが早くなってきたのだ。今までは反応が鈍かったため、自分がその対象(ひと・もの・こと)について「嫌だな」「無理かも」と思っていることに気付けないままずるずると関わり続けてしまうことが多かった。そして因果関係がわからなくなる程長い時間が経ってから、悪感情や頭痛や嘔吐に見舞われ(わたしはどうしてこんなに体力がないだらしのない奴なんだろう)と情けなく思っていた。最近は原因の後すぐ結果が身体に出るようになったので、自分がその何ごとかをこころから喜んでしたのか、あるいは実は嫌々だったのかがはっきりわかるようになった。阿呆なことをと笑ってもらっていい。今になってようやく、自分の五感と自分の身体が本当に自分のものになってきた気がするのだ。それが、とてもうれしい。これまでもかなりそうだったに違いないが、わたしはこれからもっと、世間の目や常識に堂々と背を向けて、浮世の義理を欠いて欠いて生きていくだろうと思う。ようやく取り戻した自分の感覚と身体を信じて、そして何より「天」を信じて生きていこうと思う。こうして折角生まれてきた今生、自分が本当にしたいことをやりとげるために。
Commented by hirokoto at 2012-08-01 22:35 x
身体感覚のこと、すごくよくわかります!
ちょうど、笹井宏之さんの何かの歌集のあとがきで書かれていたことを思い出そうとしていました。
短歌をつくることは瞑想に近い、というようなことを書かれていて、(言う人によっては陳腐な表現なのですが)それがはまっていました。
思うようになど動いてはくれない身体をとおして見つめつづけている自分を強く自覚すること、そして心と身体を一体化させることが、笹井さんの言う「瞑想」なのでは、と思いました。
なんだか関係あるような関係ないようなコメントをぐちゃっと書きましたが、
最後の文章かっこいいです、とっても!
Commented by konohana-bunko at 2012-08-03 10:38
hirokotoさん コメントありがとうございます(^^)
[それは一種の瞑想に似ています。どこまでも自分のなかへと入ってゆく、果てしのない]
『ひとさらい』のあとがきに、ありましたありました。
身体のことを今まであまり考えて来なかったのです。不安定すぎて、考える余裕がなかった!少し波がおさまってきたので、しばらく自分の内に目を向けて、しっかり感じてやりたいと思います。身体の感覚や、自分の過去のことも、生きている間しか向き合えないですもんね。
by konohana-bunko | 2012-07-28 17:53 | 空中底辺 | Comments(2)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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