斎藤学 『依存と虐待』 日本評論社

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斎藤学(さいとう さとる)著『こころの科学セレクション 依存と虐待』(日本評論社)より、以下引用。



結果を言えば、竹内演劇教室のレッスンはこころとからだのバランスをとることにも、ぜんそくを治すことにも、ほとんど役に立ちませんでした。それは自分の中に外からの言葉を受け入れる準備ができていない時に、心理的なレッスンを受けても何にもならないのと同じで、当時の私はまだ、教室のトレーニングを受け入れることができなかったのだと思います。人が本当に変わるとしたら、それは人や本から知識を得たからではなく、何か魂のレベルでの変容が起こり、日常の行動そのものが変わっていくのだと思います。そしてそのためには、こころの深いところで癒されるという体験が必要で、当時の私はその段階にはほど遠かったのだと思います。(p99 「アルコール・薬物依存からの回復」より)

私にとっていちばん癒しのきっかけになったのは子どもなんです。子どもが私にとっては最高の精神科医だったんです。私は離婚して仕事もできなくなり、うつ状態になって寝たきりになっちゃったんです。そういうのが何年も続いた。その時は、経済的にどうやって生きていいかわからないというのでうつ状態になったのかと思ったけれども、今思うと、父からの性的虐待も含めて子ども時代に受けた虐待の傷がずっと残っていて、離婚や経済的不安をきっかけに出てしまった。寝たきりで、本当に悲惨な状況だったんです。
子どもは中学三年ぐらいだったと思うんですけど、寝たきりになっている私に、「ぼくは暑くもなく寒くもない日に外を歩いていて、道端に雑草が花を咲かしているのを見ると、それだけで幸せだなあという感じがするんだよ。生きているだけで幸せだなあという感じがするんだけど、お母さんはそういう感じないの」と言ったんですね、ポツリと。私は外を歩いていて幸せと思ったことは一度もない。だけど、子どもはそういう状況下でも、すごく自分を信頼して希望を失っていないんです。
そういう子どもを育てたのは私なんですよね。私が育てた子どもがこういうことを言うんだから、私という人間は結構捨てたもんじゃないなと思えるようになった。経済的に悲惨な状況にもかかわらず、そういうふうに希望を失わない子どもを本当に幸せにしてやりたい。とにかくできるところまでやってみようと思って、それがまた立ち直るきかっけになったんです。(p168-169「家族内トラウマの後遺症と癒し」より)



引用終わり。
10年前くらいか、斎藤学さんや西尾和美さんの本を集中して読んでいた時期があった。泣きながら読んだりしたこともあった。しかしその後、気持ちの浮き沈みが落ち着いてからは、ぷっつりと遠ざけて読まなくなった。本棚の目につかないところにしまい込んだ。過去の問題を克服した、と、自信が持てたわけではない。再び読むことで心身共に苦しかった時期の気分に逆戻りしたくなかった。過去と向き合ってばかりでは疲れてしまう。
それが最近また、おそるおそる引っ張りだして読んでみている。「斉藤さんや西尾さんの本、読んでみたら」と、人に薦めたくなるようなことがあったので……。今は、読んでも、そんなに苦しくはならない。いろいろ、思い出しはするけれど。
その人が読むかどうか、役に立つかどうかはわからないけれど、こういう本があるよ、と伝えるだけは伝えてみようと思う。
Commented by hirokoto at 2012-10-14 00:28 x
びっくり、わたしも今ちょっとした斎藤学ブームです。
この写真はどこかの店先でしょうか?ごちゃごちゃ生息している感じが、とってもすてきです!
Commented by konohana-bunko at 2012-10-15 20:39
hirokotoさんもですか?おーすごいシンクロ!
読んでさわやか、という本ではないかもしれませんが、
あっちにつっかえこっちにぶつかりしながらそれでも生きてゆく人間(その代表としての自分)が少しずつ愛おしく思えるようになってくるというか。
写真、天満天神繁昌亭すぐ近くのお店です。あ、でも、何屋さんだったんだろう……?(汗)
by konohana-bunko | 2012-10-09 10:10 | 読書雑感 | Comments(2)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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