『夢の力』『化粧』  中上健次

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中上健次 『夢の力』 (講談社文芸文庫 1994)所収、「一本の草」より、以下引用。

《ある時は、別な道を歩く。芽吹き、白い柔毛をつけた葉を、娘は、「おはな、おはな」と言いつのる。「きれいね、きれいね」と言う。娘の中には、「おはな」即「きれいね」というパターンができている。それは花ではなく葉だ。確かに、きれいだ。花の美しさはない。美しい花は存る。そして美しい葉はある。娘は、芽ぶいたばかりの小さい葉を、「おはな、きれいね、きれいね」と言うことによって、みつけたのだ。物をみつけ、同時に、言葉をみつけたのだ。私は、娘が、人間の子として生長しているのを知る。》

《夜中、眼ざめると、娘は、私の蒲団に入り込む。寝る時には片時も離さない”オフトン”のかどで顔を撫ぜ、指をしゃぶる。不意にここと言って頭をさす。私は頭を撫ぜる。この子ですら、死ぬのか、と思う。かつてたくさん人が死に、いま母は、故郷でいつ死ぬかわからぬ状態にある。この子ですら死ぬのか。》

同じく『化粧』(講談社文芸文庫 1993)所収、「蓬莱」より。

《いつもは、神馬として、大社の裏で飼われている白い馬が、ちょうど神主に引かれて、通りをやってきた。道があけられた。「白いお馬よ」と女房は子供達に教えた。馬の後に、赤い袴の、巫女が二人続き、その後にヤタガラスの絵柄のハッピを着た二十人ほどの男たちが続いていた。眼の前に来て、やっと気づいたのか、「馬、馬」と二人の子供は、口をそろえて言った。
彼は二人の巫女の姿を眼で追った。若い女だった。赤い袴が、新鮮だった。見物の人間にみつめられて、気圧される様子もなかった。口を固く結び、歩いていた。夢でみた女のようにたとえそこが道でなく、人の顔の上でも踏んで歩く、そういう顔に見えた。いや、赤い袴は、人の顔の上を踏んで通るのが似つかわしい。》

中上健次は、前に読んだ『重力の都』がすごくいいと思った。くらくらした。
今回読んだ二冊は天神さんの古本市で買った。講談社文芸文庫。

女をぼこぼこにし、ついでのようにこどもを殴り、女がこらえかねてこどもを連れて出ていってしまうと、さびしい、さびしい、帰って来てくれ、こどもに会いたいという男がいる。そういう男は世間にはけっこうたくさんいるのかもしれない。殴りたい、支配したいからおってほしいのか、執着なのか、業なのか何なのか。わたしにはわからない。男だけが悪いのでない、そんな男についていく女の気持ちもわからない。わかりたくない。この二冊の中に繰り返し現れる男とその女房は、肉親のように身近に思えてならず、それゆえになおさら理解も共感もしたくない、せつない人間像だった。



写真は11月23日の神農さんにて。

昨日はNHK「かんさい熱視線」で青空文庫さんの番組を観た。
by konohana-bunko | 2012-12-08 13:36 | 読書雑感

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり