古本の記憶

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古本に引かれた鉛筆の傍線に消しゴムをかけながら、一冊の本が持っている記憶について考える。この本に蓄積されているのは、線を引きながら読んだ前の持ち主の記憶だけではない。さかのぼれば、記憶は著者が原稿を書くところから始まっている。そこから、出版社や編集者、デザイナーの記憶、モノとしての紙の記憶が合流し、印刷屋さん、製本屋さん、書店と、旅をしてきた記憶が重ねられる。配本されたての新刊で買ったとしても、その本の目に見えないページには既にたくさんの記憶が書き込まれている。同一タイトルの本でも記憶はそれぞれ違うだろう、ある一冊はAmazonの倉庫で箱詰めされたことを覚えていて、また別の一冊は駅前の本屋で嗅いだ雨の匂いを覚えているかもしれない。誰かに買われ、読まれる過程で、記憶はもっともっと重なってゆく。古本であれば、なおさら。
本の文字を読むことはできても、本の記憶をひもとくことはできない。ただ何となく、手に持った時に感じるような気がするだけだ。わたしは個人的な遊びの一つとして、この記憶を「感じる」ことを楽しむ。人懐っこい本もあれば、重くて妙に冷たい本もある。あまりによそよそしい顔をしている本は、手を当ててあたためてやることもある。いい思い出を持っているのなら、それを抱えたまま売れていってもいいけれど、そうでないのなら記憶を少しでもニュートラルにしてやりたいと思う。汚れを拭いたり書き込みを消したりするのと同様に、少しでも過去から自由に、身軽にしてやりたいと思う。そして、次の誰かの手許で、この世に本と生まれ出た役目を少しでも長く果たしてほしいと思う。
by konohana-bunko | 2013-03-12 15:52 | 古本屋さん開業記 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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