『トリエステの坂道』  須賀敦子

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『トリエステの坂道』  須賀敦子 (みすず書房/1995) を読んだ。須賀敦子さん、ずっと前から本だけ買って手つかずだった。(今はなきBerlin Booksさんで!)読めてよかったなあ。もっと早く読んでもよかったかも。

以下、特にお気に入りの部分を引用。

〈丘から眺めた屋根の連なりにはまるで童話の世界のような美しさがあったが、坂を降りながら近くで見る家々は予想外に貧しげで古びていた。裏通りをえらんで歩いていたせいもあっただろう。時代がかった喜劇役者みたいに靴の大きさばかりが目立つ長身の老人が戸口の階段に腰かけ、合わせた両手をひざの前につき出すようにした恰好で、ぼんやりと通行人を眺めている。車はほとんど通らない。軽く目を閉じさえすれば、それはそのまま、むかし母の袖につかまって降りた神戸の坂道だった。母の下駄の音と、爪先に力を入れて歩いていた靴の感触。西洋館のかげから、はずむように視界にとびこんできた青い海の切れはし。〉(p17「 トリエステの坂道」)

〈夫の実家だった鉄道官舎は、そのガードをくぐったところのすぐ左手にあったし、彼が勤めていた書店は、ドゥオモのすぐそばだった。だから、結婚するまえも、してからも、外出ぎらいの彼が利用する交通機関は35番の電車だけだった。私は私で、一九六〇年にそれまで勉強していたローマを引きはらってミラノに住むようになったとき、家がみつかるまで泊めてもらっていたモッツァーティ家が、おなじ電車道に沿っていたから、夫の実家をたずねるときも、書店に出かけるときも、35番に乗った。そればかりか、六一年に結婚したとき、夫の友人のティーノが格安の家賃でいいから、知っている人に住んでほしいと空けてくれたアパートメントが、またまたモッツァーティ家と道をへだてた真向いだったので、交通にかんするかぎり、私のミラノ暮しはすべて35番の星の下にあったといってよかった。
結婚してまもないある日、夫の帰りがおそくて、どうなったのかと気をもんだことがあった。書店を出るときに電話をくれたから、ふつうなら二十分で家につく。いくら電車がこなくても、三十分はかからない。道でなにかあったのではと気になりはじめたとき、彼がそっとドアの鍵をあけて入ってきた。どうしたの、ちょっと心配した、というと、彼はてれくさそうにつぶやいた。「うっかりして、お母さんのところに帰っちゃった」
結婚そうそう、35番の電車に、ふたりしてからかわれたようなものだった。〉(p32-33「電車通」)

〈イタリア語でなんていうの、この花、おかあさん。葉のあいだからつぎつぎに匍い出す赤く透きとおったアリを指先でつぶしながら、私は寝室の戸棚のまえでいつまでもごとごと音をさせているしゅうとめに問いかけた。声がはずんでいたかも知れない。日本にしか咲かないと信じこんでいた紫苑が、いちどにこんなたくさん、いきなり目のまえに置かれたのだったから。名前って。たたみかけるような私の口調に、しゅうとめは、大きな花瓶をかかえて入ってきながら、怪訝そうな顔をした。
この辺ではセッテンブリーニつて呼んでるけど。花っていうほどのものでもないし、ちゃんとした名かどうかも、知らないわ。
ふうん、セッテンブリーニねえ。小声でその名を繰り返しながら、私は思った。なんて簡単な名だろう。九月に咲くから、九月っこ、か。
きれいな花よね。そういうと、無類の花好きだったしゅうとめは、大げさな、という顔をして笑うと、いった。さあねえ。きれいだかなんだか、よくわからないけれど、私は好きだわねえ。かわいらしくて。
紫苑。おそらくは菊の一族なのだろう、ぱっと目立つ花ではないけれど、紫苑という漢字はゆかしいし、だいいち、シオンという音のひびきがさわやかである。高く伸びて、野菊に似たむらさきの小花をまばらな星座のように濃い緑の葉のあいたに咲かせる、あの濡れたような色や、すらりと伸びる姿が好かれるのだろうか。野の花にしては華やかだが、栽培される花にしては野趣が濃い。〉(p131「セレネッラの咲くころ」)

「さあねえ。きれいだかなんだか、よくわからないけど、私は好きだわねえ。かわいらしくて。」このお姑さんの台詞の直前まで読み進んできたところで、(あ、お母さんきっと、こんな風に言わはる)という予感がして、その予感通りの台詞がなめらかに続いた時には、うれしさでぞくぞくした。
まさにこんな風に話す年上の女性を知っている。わたしの大好きな人だ。



写真は天保山運河にて。
by konohana-bunko | 2013-08-06 22:23 | 読書雑感

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by このはな文庫 十谷あとり