『身心快楽 自伝』 武田泰淳

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武田泰淳『身心快楽 自伝』(創樹社/1977)より、以下引用。

〈「世間知らず」のもう一つの美点は「この世間には俺とは段ちがいに偉い奴がいるだろうな」と、いつでも思いつめていることである。偉い奴は一体どのくらい偉いのだろうかと、つとめて難しい大著述などをよみたがる。半ぶんか十分の一しか理解できないでも、むずかしい物を読む面白さは、一度味をおぼえたら、決して忘れるものではない。やさしい物にも面白みは沢山あるが、どちらかと言えぼ、むずかしい物の面白みの方が、永つづきがするものだ。
 同じ職業の男に、自分よりウワテの奴がウヨウヨいることは、つらくてたまらぬことではあるが、また愉快なことでもある。かなわぬながら、彼らに意地わるしてやろうとする心が動機になって、いくらかマシな作品が書けることだってありうるからだ。しかも、この種の意地わるを、相手に気づかれぬように実施する腕は、どんな鈍い男でも、次第に上達することは、明らかである。〉
(p52-23「PRあるいはCM的自伝」)

〈うちの女房は、マル・エン全集の広告など見て、マルクス・エンゲルスは一人の男、つまり姓はマルクス、名はエンゲルスだと信じていたそうだ。なにしろピカソをピカリと呼んでいたくらいだから不思議でもない。私の資本論ロンも、彼女の学識とさしてかおりないものであるにちがいない。
 ただし、次のことは断言できるのではあるまいか。物を書く人間は、常に恥ずかしいという心を失ってはならない。大きな書物を読めば、その著者の努力の蓄積に脱帽して、自分が恥ずかしくなる。おごりたかぶる気持ちが消える。その本を利用して、直接行動を起こすより前に、その知恵の大海に沈んで、ふかい思いにふける。その意味では、資本論は一種の芸術的陶酔をあたえてくれるものであった。〉
(p81-82「私と『資本論』」)

〈(頭略)実にさわがしい女が一人目にとまったことがある。それは喧嘩をして夫にぶたれた女らしく、汚い顔を血だらけにして大きな声で泣きながらやってきたのである。昼休みに日向ぼっこのためクリークの石橋の上にいた私共の方へ泣きながらその女はやってきた。後から母親らしい老人が心配そうについてきて、またその後から野次馬がゾロゾロついてきた。私は血だらけの中年女は気味悪くなってタジタジとなり構いつけないで立っていた。女はまだ泣き騒いで私共を困らせてから街を歩いて行った。私共独身者が、どうして支那の中年女の夫婦喧嘩の裁きがつけられようか。その時の歌。恐ろしや支那の女の喧嘩して顔に血塗りて橋わたり来る。愛すべき風景の中に生活するこれらの愛すべき支那の人々を眺めていた杭州の春は、私の心に春愁ともいうべき一つの永い悲哀を植えつけたものであった。半ば意識的に荒々しきもののなかに悲哀を見出そうと努めたのかもしれない。若い時に異国に行くとたぶん誰でもそうするのではあるまいか。〉
(p176「杭州の春のこと」)
    
そしてひとつの詩の後半の部分を。題は「北京の輩に寄するの詩」。

〈街に三歳の児童ありて煙草を吸い
村に百歳の老婆ありて薪を背負う
かかる楽園の首都にて
自分でわからぬT(ター)君の脳と
酔えば人を蹴るI(イー)君の脛と
ひどく重たきC(チー)君の腰と
何やらかきまわしてるS(サー)君の指と
これらの肉体の部分品よ
やがてちぐはぐのお前達の中から
どんな子供が生れようが
大陸の事だ、かまうものか
そして産後の一寝入りをしたら
蛇のお母さんのように
ゆっくりと穴から出ようではないか

――安徽省の街から――〉
(p152-153「北京の輩に寄するの詩」)

読んだ感想を書けたらいいのに、何と書いたらいいのか。
――とにかく大きな人を遠目に見て、見ただけで、お腹がどすんと重くなった。それは、気持ち悪い重さではなくて、栄養の濃いものをたくさん食べた時のような感じで――。
こんな感想では、小学校の夏休みの宿題にも提出できそうにないが。
by konohana-bunko | 2013-08-24 09:51 | 読書雑感

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり