うたのよみかた

出掛ける時は鞄に本を入れていく。電車の中で本を読む。高校生の時もそうしていた。「新潮文庫夏の100冊」なんかの中から選んで買っていた。20年以上前の話。開高健や倉橋由美子が好きだった。当時はあの100冊の中に、夏目漱石や森鴎外も入っていたように記憶している。「硝子戸の中」や「阿部一族」も読んだ。でもどんな話だったか忘れてしまった。

今電車で読んでいるのは『百珠百華―葛原妙子の宇宙』(塚本邦雄/花曜社/1982)。最近、電車で読むのは歌集が多い。

本当にいいと思う歌集を読むときは、ルーズリーフかノートを用意して、(おお)と思った歌を書き写しながら読む。(もちろん、電車の中で書くわけだ。)時間はかかるし面倒といえば面倒だが、この読書にはそんな苦を上回る楽しみがある。歌集は、一首一首にこころを入れないで読めば、何分文字の少ないものだけに、あっという間に読み終わってしまう。書き写すという作業を上乗せすると、目でなでるだけで次には行けない。一行の詩を数度読むことになる。助詞のひとつひとつが、はっきり見えてくる。

好きな歌を書き写す時に感じる気分――肩こりと面倒さ、喜びと擬似達成感の入り混じった怪態な高揚感――を、確か以前にも感じたことがある。何してた時の気分やったかなあ、とずっと記憶をたどっていて、思い出した。これは、こどもの頃、手塚治虫のアニメを見て、それを真似して絵を描きまくっていた時の気持ちと同じだ。

あの頃、サファイアの愛馬オパールは、何度描き直しても犬にしか見えなかった。アニメが短歌になっただけのことで、自分は一向変わっていないのかもしれない。
by konohana-bunko | 2005-07-15 11:44 | 読書雑感 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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