歌集『中つ國より』 田中教子
2015年 01月 10日
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生と死のはざまに浮かぶ影として水族館の夜をめぐれり
トウモロコシに粒の数だけ髭があり生の数だけ死の数はある
喘息の子のかたわらに眠る夜ゆめに巨大な樹が生えてくる
論文の中より「人」が透けて見ゆ 乾いている人 しめっている人
どのように呼んでも返事のない雲は朝の息子のようなり おーい
夢のなかに夜ごとに伸びゆくビルあれば覚めてしばらくくらくらとせり
冬の川にうつす我が影 きらきらと生れ日時の分からぬ石たち
過去の世に幾度も親を殺めたる我が魂に雪が降り積む
塩壷に水湧くようなさみしき日 島影は父海原は母
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近しい人――血のつながりのある「うから」へのまなざし、それをうたに詠むときの構え方にシンパシーを感じた。
・火のような楓の一樹かなしくてならないときはその幹を抱く
という歌もあった。一読、(格好いいなあ)と思った。絵になる歌というべきか。切実さの伝わるいい歌だと思うし、こううたいたくなる気持ちには共感できる。でも、わたしはこういう風には(今は、たぶん)うたえない。
「うたいあげる」のが相応う歌人とそうでない人がいるのではないか。そんなことを考えさせられた。