夜道

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先日温泉に行った時、こどもの頃住んでいた家に風呂がなかったことを思い出した。
二日に一度、夜遅くに、歩いて五分ほどの銭湯に通っていた。
母と二人でのことが多かったが、時に父も加わって、三人連れ立って出掛けることがあった。
三人で銭湯に行った日は、帰りが楽しみだった。銭湯は坂の上にある。帰り道は公設市場の裏を回って下る急な坂である。そこを通る時は、父と母に手をつないでもらう。
「いち、にの、さんしてェ」
とわたしが言う。すると父と母は手に力を入れてわたしを持ち上げる。二歩か、三歩くらいの間、わたしは足を前に上げて、ぶらんとぶらさがって宙を移動する。下り坂だから、地面がどんどん離れてゆくように見える。夜空に向かって浮いてゆくような気持ち。
父と母が腕の力を弛める。わたしの足はぱたりと着地する。もう一回。いち、にの、さん。また手にぐんと力が入って、わたしはぶらんと浮き上がる。そして、ぱたり。もう一回。いち、にの、さん。いち、にィの、さん。

街灯のない、暗い道だった。公設市場の裏側で、道の傍に木のトロ箱が積み上げられていた。冬には、街路樹の梢の上に凍えるようなオリオンが輝いているのが見えた。

あの頃のわたしに、父と母の手をしっかりとつなぎ合わせる力があったのだ、と、今、気付く。
Commented by ya at 2005-09-13 15:54 x
その時その時の幸せをしっかり胸に、
今を元気に笑顔で過ごしいきましょう。
Commented by konohana-bunko at 2005-09-14 09:20
はい、ありがとうございます。
こんな小さな記憶でも、思い出してみると
何か生きる力の足しになるような気がします。
by konohana-bunko | 2005-09-12 17:15 | 空中底辺 | Comments(2)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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