『塩壺の匙』 車谷長吉

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10日(月)、『塩壺の匙』を読了。車谷長吉は『赤目四十八瀧心中未遂』『変』に続き3冊目、新しいものから古いものへ遡る順で読んでいることになる。小説としての完成度は『赤目』の方が高いのだろうが、『塩壺』もなかなか、面白い。作者の原型がより顕わになっている。
特に面白いと思ったのは、「萬蔵の場合」という作品。塚本邦雄の作品世界に通じる表現が出てくる。以下、引用してみる。

(◆は車谷長吉『塩壺の匙』、◇は塚本邦雄全集/『寵歌変』よりの引用。正字が表記できない点はご容赦の程。)

◆電話が切れたあと、ふっと心に浮んだのは、子供の頃、茗荷畑の中で、蛇の卵を太陽にかざして見た時のじりじりするような生ま温かい心地だった。私のかざし見た白い卵の中の黝い塊は「誰からも愛されるな」と言っていた。 (「萬蔵の場合」p67)

◇鶏卵を燈に透かしつつぢりぢりと生温き生をたのしみゐるか  塚本邦雄  『装飾楽句』

◇わが飼へる犬が卑しき耳垂れて眠りをり誰からも愛さるるな  塚本邦雄 『装飾楽句』

これが偶然の一致なのか、それとも本歌取り、換骨奪胎なのかは知らない。それは、どちらでも構わない。ただ、たまたま並行して読んでいた二冊の本の間にシンクロニシティを発見してうれしくなったのである。
国籍や「私」の匂いを極力消したところに美を築こうとした塚本邦雄の歌が、その美しさを損なうことなく、車谷長吉の血なまぐさい「私小説」の中に取り込まれている、のかもしれない。巧みに取り込んだ、のだとしたら。そんな想像をたくましくしながら本を読むのは、この上なく楽しい。

塚本邦雄には塩壺を詠んだ歌がいくつかある。お気に入りのモチーフだったのだろう。

◇父母金婚の火は近みつつ食塩のつぼにかわきし食塩あふる  『装飾楽句』

ちなみに萬蔵の「萬」という文字は、本来「さそり」の形を表すものだという。
by konohana-bunko | 2005-10-11 21:32 | 読書雑感

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり