武蔵野の草はみながら

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帰りの電車、車窓から写真を撮った。
はじめは雲を狙っていた。雲間から傾いた日の光が差して、ヤコブの梯子を作っているところを撮ろうと思った。窓ガラスに顔をくっつけるようにして、何枚か撮ってみた。液晶モニターで確認してみたが、目で見るほどにはっきりとは写らないようだ。電車が揺れる。下を向いてカメラをいじっていたら酔いそうになる。雲間の光はあきらめて、あまり何も狙わずにぱちゃぱちゃと何度かシャッターを押して、スイッチを切って鞄にしまった。
家に帰って、パソコンの画面で写真を確認する。メタセコイヤが写っている。この景色は、公園のそばを通過する時に見えるもの。曇り空の下の、寒々とした景色。この写真を見て、ふと(武蔵野)と思った。

紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る  古今集―伊勢物語

伊勢物語第四十一段、「緑衫の袍(ろうさうのうへのきぬ)」というのは短い話だ。二人姉妹がいて、ひとりは身分の高い男と、ひとりは身分の低い男と結婚した。身分の低い男を夫としている女きょうだいの難儀に、身分の高い方の男が助けの手を差し伸べる。そんな話。高校の古文の授業でやった時は(で、これのどこがおもろいねン?)と思ったことを覚えている。確かに「筒井筒」のようなドラマはない。でも、今読み返すと、しみじみするものを感じる。「武蔵野の心なるべし」と呼べるような、さりげなくもあたたかい思いやりというのは、する方も受ける方もむずかしいのではないか。

武蔵野ということばから、また、別の冬枯れの景色も思い出す。東京のJR中央線に乗って、国分寺まで行った時に見た風景。都心から離れるにしたがって、窓の外を小さな冬木立が何度もよぎった。武蔵野というのはこのあたりのことなんかな、それとももっと遠いところなんかな、などと考えながら窓ガラスに頭をくっつけて外を見ていたら、何だか涙が出て仕方がなかった。なぜ泣きたくなったのかは、いまだにわからない。
by konohana-bunko | 2005-12-19 21:49 | 日乗 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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