『ハドリアヌス帝の回想』 マルグリット・ユルスナール 多田智満子訳

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ユルスナールは『東方綺譚』『姉アンナ…』についで3冊目。
最初から最後まで、ローマ皇帝の独白、一人称で通した小説。読み始めは何だかなあ、退屈かなあ、となかなかページが進まなかったが、ゆくりなくある人物が出てきたところから俄然話が面白くなり、切なくなり苦しくなり、後は勢いよく読了できた。これって、恋愛小説でもあったんだ…。それも、ローマ皇帝とギリシアの美少年の。へええ。

以下引用。

わたしは数多くの廃墟を再建したが、それは過去の相のもとに時間と共同作業を行ない、過去の精神を把捉あるいは修正し、もっと長い未来に向かってそれの乗り継いでゆくべき換え馬を出してやることである。また石のかげに源泉の秘密を発見することでもある。人生は短い。われわれは絶えず過ぎ去った幾世紀、きたるべき幾世紀について、まったくわれわれと無縁のものであるかのごとく語るが、わたしは石と戯れるうちにそれらの過去と未来とに触れたのであった。わたしが支柱で補強するこの壁は、消え失せた人のからだのぬくもりを今なおとどめているし、いまだ生まれ来ぬ人の手がこの列柱の柱身を愛撫するであろう。(p135-136)

アンティノウスはギリシア人であった。――わたしはこの古い無名の家系の記憶を、プロポンティスの岸に定住した最初のアルカディアの入植者の時期までさかのぼって辿ってみたのだ。しかしこの少し粗くてきつい血筋に、アジアは生の葡萄酒をくもらせ香りよくする蜜の雫のような効果をもたらした。(p162)

引用終わり。物語としては、わたしは『姉アンナ…』が好きだけれど、小説としては『ハドリアヌス帝の回想』の方が、スケールにおいても、細部の緻密さにおいても、完成度が高いと思う。

写真はならまちの民家の玄関。
by konohana-bunko | 2006-05-17 21:47 | 読書雑感

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり