『街道をゆく 7』 大和・壺坂みち ほか 司馬遼太郎
2006年 06月 17日
以下引用。
須田さんは若いころから脾弱で、むりをしないという自律でもって、六十余年間いのちを保ってきた。夜は九時に寝、朝は六時前に起き、そのあと、六甲山のみえるあたりを三十分ばかり散歩する。仕事をする時間は午前中である。午後はすこし午睡をとる。夜はすこし読書をし、たまに詩を書き、仕事はしない。この規律をくずせば自分のいのちは溶けてしまうかもしれないということで、大切にいたわってきた。
引用終わり。須田さんてこういう人だったんだ、と、驚く。あの絵や書の、拳骨のようなタッチからはちょっと、想像がつかなかった。
小学6年の時に『燃えよ剣』を読んで以来、司馬遼太郎は好きとか何とかを通り越して、自分の中に溶け込んでけじめがつかなくなってしまっている。いや、溶け込んで、というのは傲慢な勘違いで、むしろ自分が取り込まれてしまっていると言った方が正確かもしれない。
司馬遼太郎の文章は、ことばえらびが硬質で、文は乾いた小枝みたいにぽきぽきと短く折れ、いかにも「漢漢(おとこおとこ)」した感じがする。ところが話の運びは案外、さめざめととりとめない。紀行文の場合、このとりとめのなさは効を奏していると思う。小説の場合だと、時にもどかしいことも、ある。
写真は元興寺講堂で出会った須田剋太の衝立。須田さんの字はとてもいい。見ていると、こころの中から、骨が洗い出されてくるような気がする。