『米朝ばなし 上方落語地図』 桂米朝
2006年 06月 20日
半ばとろんと眠くなったところへ、こんな話を聞くわけですよ。以下引用。
「近ごろ新身(あらみ)の刀を手に入れた」侍が、朋輩に自慢をする。「なるほど、これは無銘ながら逸品と心得ますが、切れ味は?」「さ、犬猫を切るわけにも参らず、まだ試しておらん」「よきことをお知らせ申そうか。じつはそれがしも先日、新身の一刀を手に入れた。夜前、夜更けに日本橋を通りかかると、橋のたもとに乞食(こつじき)のたぐいが筵をかぶって旨寝(うまい、熟睡)をしておる。これ究竟(くっきょう、最も好都合)の試しものと心得て“こりゃ、寝耳ながらよくうけたまわれ。その方、生きて甲斐ある命ならばかかる殺生は致さぬが、生きて甲斐なき生涯、身どもの刀にかかって相果てい。亡きあとの回向は、手厚く致してとらす”と、心中に念仏を唱えて、抜き打ちに斬り捨てて帰りました」
「なるほど、乞食のたぐいとあらば、詮議もさほど厳しゅうはござるまい。昨夜、人が殺されたのを知らぬ者が、また寝ておるかもしれません。しからば出掛けてみましょう」
――夜中、その侍がやってくると、また橋のたもとに乞食が一人寝ている。
「夜前、殺されたというのに、また寝ているとは、よくよく命冥加のないヤツじゃ。亡きあとの回向は厚くしてとらすぞ。観念せい!ナムアミダブツ!」
ザーッと斬りつけると、パーッと筵をはねのけた乞食が、
「どいつや、毎晩どつきに来るのは!」
引用終わり。
このはなみ★録のこのはなさんが、子育て幽霊の話について触れておられた。上方落語にも高台寺を舞台にした「幽霊飴」という噺がある、と『米朝ばなし』に載っている。例の、女の人の幽霊が、赤子を育てようと飴屋に飴を買いに来る…というあれ。「番町皿屋敷」はよう覚えてるけど、「幽霊飴」は記憶にないなあ。再び引用。
掘ってみると、お腹に子供を宿したまま死んだ女の人の墓です。中で子供が生まれ、母親の一念でアメを買うてきて、それで子供を育てていた。子供が生きているので、アメ屋の主人が引き取り、養育します。のちにこれが高台寺の坊さんになります。
母親の一念で、一文銭を持ってアメを買うてきて、子供を育てていた。それもそのはず、場所が「コオダイジ(子を大事=高台寺)」
引用終わり。写真、もちいどの商店街にて。