念力と梶井基次郎

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『念力図鑑』  笹公人  幻冬舎

オークションにて購入。
歌集は大抵、字数の少なさに反してとても読むのに時間がかかる。しかし中には、ぐいぐい引っ張られて一気に読んでしまう歌集というのも存在する。渡辺松男、和田大象、林和清、斉藤斎藤……。私的ぐいぐい短歌コレクションに、笹公人を付け加えたい。

  前世は信長という弟の割り算解けぬ様を見ていつ

  かんぴょう巻のかんぴょうするりとぬけるとき廃部となりし相撲部おもう

  獣らの監視厳しき夜の森で鏡を運ぶ僕たちの罰

  指切りの指のほどけるつかのまに約束蜂の針がきらめく

  鳥の群れがある形なすそれまでを漢字の起源(おこり)のように見ている

笹さん正字旧仮名が似合うと思うんですがどうでしょう。

  *

『転位する魂 梶井基次郎』  鈴木沙那美  社会思想社(現代教養文庫)

悠南書房にて購入。以下引用。

 瞬時の身心の全的緊張や興奮は、腐れ水のような日常を負っているものにとって、ほとんど唯一の生の経験として実感される。しかし、それは孤独な興奮であり、世界のなかでの位置が不分明のままやがて霧散していってしまうようなものでしかない。書かれ、他者へと開かれたものとなることによって、はじめて、それは自己の経験として世界のなかに位置を占める。そのとき不安は解消され、自己は世界との均衡を回復することができる。(p102~103)

 ところで梶井が、自分の芸術的立場に与えた名辞は「リヤリスチック・シンボリズム」であった。「リヤリスチック」の語が指しているのは如何なるものであったろうか。
 おそらくそこには自らの経験、実感の上にのみ描写を築こうとする梶井の創作態度が託されていた。それは、梶井にとって、生涯を通じて変ることのない姿勢であった。(p137)

引用終わり。
表紙(裏表共)に茄子の絵がデザインされているのだが、何故茄子なのだろう?檸檬では「つきすぎ」だから?(装幀 平昌司。)
Commented by 亮月 at 2007-01-16 09:24 x
笹公人さんにはとある批評会でお会いしたことがあります。
念力図鑑はまだ入手していませんが、引用されていた歌
とてもいいですね。たしかに旧字旧かなが似合う・・・。

上の写真、ぐぐっとひかれました。
わたしの中では、逢魔ヶ時のイメージです。
このミラーから別世界にいけそうです。
Commented by konohana-bunko at 2007-01-16 18:31
亮月さま こんばんは、ようこそ!『念力図鑑』、本の造りも楽しかったです。
by konohana-bunko | 2007-01-15 20:24 | 読書雑感 | Comments(2)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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