『連句をさぐる』  近松寿子編著

c0073633_21311492.jpg
連句の本第2弾。天地書房(上本町店)にて。これを買った後、別の日に天地さんに行って、また別の連句の本を買った。3冊とも、どれも同じ濃さの鉛筆で、同じ書き癖で線や印がつけられている。

連句の作品がいくつも収録されているのを読む。面白いと思える部分もあれば、退屈なところも。ただ、付け合いの解説は、どれも楽しい。

短歌でも俳句でも、わたしは歌(句)がずらっと並んでいるのを見ると、その中からいいと思うものを選びながら読む癖がある。歌会の詠草を読む時はそれでいい。しかし連句のように、全体の流れを楽しむものを、こういう風に読んでいいものか、どうか。本の中にも、こんな文章が出てくる。以下引用。

話を歌仙に限るとして、際立って面白い運びの二個所もあれば佳しとされている。もしかりにそれ以上に及ぶとすれば、終始きらめく延金のようで、却って際立つものも際立たない。流には緩急もあり漣もあろうが総じて穏かな中に、時あって高波の躍動が起ってこそ華麗であり荘重であり、前後の静けさもまた捨て難い趣をおびてくる。句々に巧緻を希って凝れば運びは渋滞する。卓抜映発は望ましいが、時に低く地を這うもまた更に好ましい。すべては起伏の呼吸にかかる。連句の場で自己のみを立てようとする構えは禁忌である。左右の腕をさしのべて抱き合う三句の渡りは、律動の波を先へ先へと及ぼしながら進むわけだが、その間に膠着のおそれの生じたばあい、爽やかに流しやるのが遣句の勤めである。遣句は上手の見せ所とさえいわれてきた。自我に対しても不即不離、恍けるかに見えるゆとりを欠いては連句を巻く資格がない。(p105 俳諧余談 橋閒石より)

それはともかくとして、付箋を付けた部分も引用してみる。

  *

すずかけの落ち葉をけつてブーツ行く  浅越京子

  ネオンきらめく池畔のベンチ  秋山ます子

ペンで生みペンで果てさす恋一つ  寿子  (p78)

  *

刷上げし歌麿の知恵の裏表  草吉

  柳の下をいそぐ捕手か  稔典

  ……

露こぼし道下りくる隣の子  稔典

  芒を持った掌での目隠し  寿子  (p107)

  *

  盗人つかまる派出所の裏  禾青

合わぬ鍵ばかり大事にしまい込み  千遊

  かすかに物の焦げる夕ぐれ  ひろし  (p131)

  *

  伝言板の文字の濃淡  知沙

ひまわりがぐらりと咲いた海の駅  稔典

  白昼の女の夢の曳航  律子

  ……

  決意あぶなくまた二月尽  律子

遥かなる丘に花見るわたしです  稔典  (p228-229)

引用終わり。ネンテンさんの付けはやはり革袋から錐の先が覗いている気がする。

ネンテンさん、文章も所収されている。その中で「わたしにとって、犀は分身であり」と犀へのこだわりについて書いている。いつごろ、犀から河馬になったのだろうか?
by konohana-bunko | 2007-03-23 21:31 | 読書雑感 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
プロフィールを見る
画像一覧