『幼な子の歌 タゴール詩集』
2007年 11月 11日
現代詩が、わからないのだ。どこをどう味わえばいいのか?一連の中に、数行、(あ、ええナ)とこころ魅かれる部分は見つけられるけれど、詩はその前にも何行もあり、そしてそのいいところを通り過ぎてまだ(場合によっては)何十行も続いてしまう。で、往々にして、よくわからないまま唐突に終わる。本当はちゃんをワケあってそこで終わっているんだろうけれど、そのワケが、うまく読み取れない。短歌俳句のように、リズムで気持ちよくなるというわけにもいかない。
あまり読まないからわからないのか。もっと読めばいいのか?
*
『幼な子の歌』には、作者のこども時代のことを書いた詩、母と子の情愛について歌った詩が収められている。
以下引用。
《(頭略)
世の悲しみを知らない 稚(いとけな)い笑顔の幼な子たちが
笑いながらあなたがたの戸口にやってくる
初々しい目をあげて 戯れ揺れながら
四方(よも)を見ている
黄金(きん)色の太陽の光や お母さんの顔が
どんなに心地よいことでしょう
この地上に 知らないうちにきていました
埃を埃とも知らず すべてが彼らの宝物です
この子らを膝に抱きあげてください――泣いて帰らせないように
喜びの中に悲しみを起こさせないように
胸の真ん中に置いて 充ちあふれた心で
この子らに祝福をお与えください(後略)》(p209-212 「祝福」)
《 坊やはお母さんに尋ねます
「ぼくはどこからきたの?
どこでぼくを拾ったの?」
お母さんはそれを聞いて坊やを胸に抱きしめ
大笑いして言います――
あなたは私の心のひそかな願いだったのです
私の幼い日の人形遊びの中にいました
朝 シヴァ神へのお祈りの時も
あなたはわたしとともにいました
あなたは私の神さまと一緒に
お祈りの玉座にいたのです
神さまへの祈りはあなたへの祈りでした
私の永遠の希望と
すべての愛の中に
私のお母さんとおばあさんの生命の中に――
(中略)
いくらあなたを見つめても
みんなのものだったあなたが
どうして私のものになったのかその謎は解けません
あの人とこの人が出会い
あなたはお母さんの坊やになり
愛らしく笑ってこの世に現われた(後略)》(p121-123 「誕生の話」)
「あなたは私の心のひそかな願いだったのです」という一行に、胸をつかれる。そう、今頃になって。こどもはとっくに自分よりデカくなって、取り返しがつかないあれこれだけが、買ったまま読んでいない本のように手許に残ってゆく。