目に見えない押し葉

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日曜日、所属結社の歌会へ。歌会で、歌に対する批評をする時、今でも迷う。「てにをは」にこだわり、一語一語に即した読みに基づいて批評をしなければ意味がないという思いと、表現の上ではぎこちなかったりわからなかったりする面はさておき、作り手が何とか伝えたいと精一杯差し出している詩情を汲みとりたいという思いの間で。たぶんこれからもずっと、時計の振り子みたいに揺れながら、しどろもどろのコメントしゃべるんやろなぁ。
帰り道で見た月がきれいだった。



本を読んでも、読んだそばから、何が書いてあったかどんどん忘れる。でも不思議と、その本をもう一度手に取ってぱらぱらしたら、(ああせやったせやった)と、思い出すことどもがある。それは本の内容ではなくて、その本を読んでいた日々のこと、暑っついのに仕事行ってたなーとか、あんなことがあってちょっと腹立ててたなァとか、そういう些細な気持ちの凹凸みたいなものが甦ってくるのだ。本の喉には、読んだ人の記憶が挟まっているのかもしれない。目に見えない押し葉みたいに。

小池昌代詩集『永遠に来ないバス』(思潮社)を読む。

《禁帯出の薄い本をかかえて
草のなかを逃げきる
夏の弟》

(「夏の弟」冒頭部分)

ここのフレーズ、いいなと思う。これを短歌で表現したらどうなるんだろう。寺山修司みたいかな。

写真、神農祭にて。
Commented by おやめいけ at 2007-11-28 23:24 x
早い時間から出ていた月は張りぼてのように怪しかった。
寺山修司には高校生の頃より、学校をサボり状況劇場で
実験映画を観て、映像で情念を植えつけられました。
父と同じ年です。
Commented by つぼ at 2007-11-29 23:15 x
あのバスの中で「月がきれい」と教えてくれたのはとてもうれしかったです。

短歌という短い定型詩では、自分がストライクをほうおったつもりでも、球がミットにおさまるかどうかがとても不安なので、とりあえず何が伝わったかをコメントしてもらうのが有り難いです。
気づいたことをすべて言うのは、評者の自己満足で、作者がもう一度歌を作る勇気をもてるようなコメントがいいかなと思ってます。ほめちぎるという意味ではなくてね。でも実際は思いついたことを言うだけでせいいっぱい。
Commented by konohana-bunko at 2007-11-30 22:02
おやめいけさま 寺山修司、生きていたら今頃何をしてるんでしょうね。格好よすぎますよね。

つぼさま ほんまにいい月でした。
>もう一度歌を作る勇気をもてるような
そう、それが一番大事ですよ!忘れないようにノートに書いとこっ。
Commented by keiichi at 2007-12-04 18:11 x
寺山修司は、生きていればきっと、まだきっちとテラヤマをやっているでしょうねえ。

句会を主宰しているとき、互いに論評するとき心がけていたのは「思ったことは正直に」と「よいところを見る」かな。前者は、いいすぎてしまう危険もあるんですが、でも、取り繕っても作者は喜ばない。いいたいことは、お互いいっておこう、と。後者はそのままですね。どんな句でも光る部分はあるはず。
Commented by konohana-bunko at 2007-12-05 22:21
keiichiさま 存命ならば72歳、ちょいワルならぬ超ワルおやじでしょうか。
「よいところを見る」力、句会歌会に限らず、どんな場面でも大事にしたいです。
by konohana-bunko | 2007-11-27 22:41 | 日乗 | Comments(5)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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