『友だちの絵本』  田島征三

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田島征三さんと征彦さんの本はブで見つけたら必ず買うことにしている。征三さんのこの本は前にも一度読んだ気がする。覚えている話と忘れた話と半々くらい。
真ん中あたりに紙が挟まっていた。書店のカバーを四つ折にしたもの。それに、鉛筆の薄い字で、走り書きがある。

Nちゃんへ
石彫たいへんそうですね。
けがしない様に!
この本長いことありがとう。
おもしろかったです。 S

Nちゃんは美術の学校の学生さんだったのかな……などと思う。

以下、『友だちの絵本』より引用。征三さんはスポーツは全般に嫌いだけれど、相撲だけは好き、と書いている。

「父と朝潮」

(前略)
ぼくの父はスポーツ万能選手で、陸上も水泳も全国大会で活躍しているし、相撲なんか日本一盛んだった高知県で優勝している。そういう男を父親に持った、うらなりびょうたんでモヤシ少年のぼくは、コンプレックスのかたまりだった。
スポーツ音痴のぼくは、相撲にかんしてさえ上手投げも外がけも区別がつかないし、郷土力士以外には、熱心に応援している関取がいるわけではない。荒勢がタレントになるまえは、荒勢ばかり、長岡(引用者註:長岡=朝潮)が入幕してくると長岡ばっかり応援してきた。長岡の相撲は相手を突きとばすだけで、土俵のうえでは複雑なことをなにもしないので、わかりやすくてよろしい。
しかし、朝潮と名前が変わったときに、ふとぼくの心に悪い予感がよぎった。それは的中して、昔の朝潮のように、強いときは威勢がいいが、たいていはころころ転げている。その負けっぷりは、みごととしかいいようがない。
(中略)
大関になれそうなたいせつな場所になると、室戸岬の海の男とは思えぬ小心な人間になって、勝てる相手にも負けてしまう。そういうことが、三度も四度もつづいたのだから、朝潮ひいきになったことを、悔やんでも悔やみきれぬほど、不幸な気分になる。
こんな気持ちは、高知県人なら、きっと誰もおなじだったのではないだろうか。大相撲の場所中に京都の父の家を訪れると、ふだんはまったく共通の話題を持たない父と子だが「朝潮は、まっことふがいないぜよ」と、ぼくに話しかけてくる。「けんど、きょうは横綱とやるきに、勝つかもしれんぜよ」ぼくも、久しぶりに父と心が通じあって、ふたり仲良くテレビのまえに座ることになるのだった。
一昨年の暮れ、父の容体が悪化してちかくの病院に入院することになった。若いときから鍛えあげた肉体は、八十歳を越えても衰えることを知らないが、仕事をやめてテレビのスポーツ中継ばかりみていた頭脳は急速に退化して、ボケはじめると恐ろしいほど病状がすすんだ。
いっぽう朝潮は、五度目の大関昇進をかけた場所で毎日、みちがえるような土俵をみせてくれていた。ぼくは我慢できなくなって、新幹線にとび乗った。父の病室に飛びこむと、「おとうちゃん、今度の朝潮は、いつもとちがうねえ!」と呼びかけた。父は体じゅうをうれしそうにして「そうじゃ。こじゃんとやりゆう」。父と子のがこの世で交わした最後の会話だった。
そのあと朝潮は、けっきょく横綱になれず引退してしまった。だが、父とぼくの心を結びあわせてくれたすばらしい関取なのである。
Commented by やまんね at 2008-07-26 11:05 x
いい話ですね。ありがとう!
Commented by konohana-bunko at 2008-07-26 22:03
やまんねさま 何だかんだ言いながら親子の話には弱いのであります。
by konohana-bunko | 2008-07-20 23:31 | 読書雑感 | Comments(2)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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