気になった歌、気に入った本

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■気になった歌

8月12日の讀賣新聞、長谷川櫂の「四季」に取り上げられたのは

八月まひる銀の車輌は傾いて吊り革の輪のしんと打ち合う

という、加藤治郎さんの歌。
一読、わかりやすくて、好きな情景だなと思った。歌から(都会の日常の中にひっそりと開いている異界の入口)の印象も伝わってきて、いいと思う。
でも、気になるところもある。電車の車輌が傾くとき、吊り革というのはぶつかり合うものだろうか。
自分の体験の範囲で言えば、隣り合う吊り革を、両手で持って真ん中に引き寄せて、打ち合わすことはできる。でも誰も掴まっていない吊り革は、電車が傾けば一斉に同じ方向に傾き、隣の輪っかには当たらないのではないか。電車が傾くたびにぶつかり合う吊り革だとしたら、革が長すぎるのではないか。
(そんな杓子定規な読みをしてるからお前の歌はおもろないんや)と言われてしまえば、それまで。でも、一旦引っかかると気になって仕方がない。歌の嘘は現実を虚構に変える魔法。だからこそ、気持ちよく、うっとりと身を任せられる方向についてほしい、と思うのだが、どうだろう。

■気に入った本から

・川上弘美『神様』(中央公論社 1998)収載「星の光は昔の光」より、えび男くんのことば。

「あのね。星は、寒いをかたちにしたものじゃないと、ぼくは思うな」
「星はね、あったかいよ」
「星の光は昔の光でしょ。昔の光はあったかいよ、きっと」
「昔の光はあったかいけど、今はもうないものの光でしょ。いくら昔の光が届いても、その光は終わった光なんだ。だから、ぼく泣いたのさ」

・林哲夫『古本屋を怒らせる方法』(白水社 2007)収載「にぎりめしと焼き芋の愚直」より引用。

式場(引用者注:式場俊三、『文学界』編集者)は山下清の作文を『もうひとつの旅』(ニトリア書房、一九七一年)というタイトルで刊行したことがある。その本を編集しながら、ふと吉田健一の文章を思い浮かべた。《一方はヨーロッパの知性を生活のなかで身につけている数少ない教養人のひとりであり、片方は精薄施設の出で、ルンペン生活によって身につけた生きる知恵だけを頼りにして暮らしてきた男の手記である。同列に論ずることもないわけだが、不思議に読んだあと味が似ている》、そう思って一本を健一に送り届けてみた。健一の感想はこうである。
「君、拙さというのは一種の美徳だね」
そして、正確に伝えようとすると言葉が不完全になるという日本語の宿命を救えるのは拙さだけでなはいかと付け加えたという。(p211)
Commented by sumus_co at 2008-08-15 09:00
後ろ姿の重そうな、ああいう感じに見えてるんですね!
Commented by keiichi at 2008-08-15 14:20 x
「気になった歌」の主張、よくわかりますね。わたしはフィクション性の高い俳句も作りますけど、それはようするに小説を書くようなもの。この歌の場合は、それとは違うはず。

まあでも、ファンタジーな景色だと思えば、あり、かな :-)

で、最近では「揺れないつり革」も増えてますね。情景としては、ちょいと色気がない感じです。

Commented by konohana-bunko at 2008-08-15 22:20
sumus_coさま 背中は語るのであります!

keiichiさま ちぎって持って帰ってもいい広告が付いた吊り革を見たことがあります。周囲の視線が気になって、ようちぎりませんでしたが。
by konohana-bunko | 2008-08-14 22:50 | 日乗 | Comments(3)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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