「奈良散歩」を読んでニヤニヤする

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奈良の空気にはモルヒネならぬナラヒネが」などと書いていた最中、司馬遼太郎の『街道をゆく24 近江散歩 奈良散歩』を読んでいたのだった。
「奈良散歩」は、多武峯で前川佐美雄と会う話から始まる。前川佐美雄は忍海村生まれ、司馬遼太郎は幼時を母方の里、當麻町で過ごした。二人とも奈良育ち、奈良をこよなく愛した人である。以下引用。

〈奈良県といえば、明治型の立身出世にはおよそ適(む)かない県だった。たとえば明治以来、敗戦までの社会は“大臣・大将”になることが、栄達の規準とされていたし、どの県でもそのような栄達例をたくさんもっていた。たとえば山口県や鹿児島県にいたっては大臣・大将は掃いてすてるほどいた。
この点、奈良県は敗戦まで一人の大臣も出さず、大将のほうも縁がなかった。敗戦の直前に、大和五条の出身の陸軍少将がひとり出たというみごとな県なのである。
奈良県は、よくいえば駘蕩としている。〉(p188-189)

「奈良散歩」の稿の舞台は、奈良公園。廃仏毀釈前後の興福寺の話、阿修羅像を見たこと、東大寺の上司海雲師のこと、修二会の話などが出てくる。修二会について思いを巡らしながら、須田画伯と東大寺二月堂へ向かって歩く。再び引用。

〈林に入ってしまうと人影がなく、いっぴきの赤犬が気ぜわしく大湯屋のほうに駆けて行った。二月堂付近で犬を見ることがあるが、鹿の姿は見たことがない。
かれらは元来(歴史的には)興福寺・春日大社のものだから、東大寺では南大門の前までくるだけで、境内のなかまでは入って来ないようである。〉(p296)

と、ここまで読んで、(えっ!ほんまに?)と思った。思ったら、次の段落は一文字下げてこう書いてあった。

〈以下は註として書く。
このくだりが連載されていたとき、奈良市法蓮町の内田穣吉さんからお手紙をいただいた。
鹿は、南大門から中門のあいだに、毎日かなり入っているそうである。
「これとはべつに、大仏殿の西側から正倉院一帯をテリトリーとする一群があり、この群れはよく大仏池で水浴しています」
とのことだ。さらに、鐘楼から二月堂、三月堂をテリトリーとする別群がいるそうで、どうも、私の目のいたらなさを思わざるを得ない。〉(p296-297)

いやーん司馬さんたら。と、司馬ファンのわたしはニヤニヤしてしまう。(実際のところ、註に書かれた通り、東大寺にもたくさん鹿はいる。)
東大寺びいきの司馬さんにナラヒネが効き過ぎたのかもしれない。

写真は興福寺にて。鹿の角、成長期が終わって、骨のように硬くとがってきた。
by konohana-bunko | 2008-09-08 20:11 | 読書雑感 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


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