三十三日分の汗をかく
2008年 09月 06日
家に電話を入れ、どこに置いたのかわからないチケットを捜してもらい、チケットが見つかり、お家の人に奈良駅までチケットを持ってきてもらう。このすったもんだの数十分の間に、この夏三十三日間にかいたのと同じくらいの量の汗が出た。みなさまにはご迷惑をお掛けしました。本当にごめんなさい。
特別展は予想よりボリュームがあった。来館者もいっぱい。普段より、年配のご夫婦が多い。団体旅行のお客さんだったのだろうか。
仏像に手を合わせている人もいる。
「ああ**寺。行きましたね」
「うん、階段ずーっと上ってねえ」などと、会話の断片が耳に入る。静かだけれど、にぎやかだ。
今回のお気に入り仏像は、小さい如意輪観音像。木の像で、黒く塗った上に、衣の柄を金色で丁寧に描き込んである。斜め後ろから見たら、肩から二の腕にかけて細かい鑿の跡が残っているのがわかった。規則正しく、繊細な彫り跡。
それから、兜跋毘沙門天立像。これは見上げるくらい大きなもの。台座が変わっている。邪鬼(?)を左右に従えた、髪の長い女性の上半身(地天女というそうだ)が両のてのひらを天に向けている。そのてのひらの上に、鎧をつけた毘沙門天が立っているのだ。今までに見た四天王像の台座の邪鬼は、踏まれている圧に応じて目をぎょろつかせ、如何にも悔しそうな文句を言いたそうな顔をしていた。しかしこちらの地天女たちはまるで空気でも担いでいるかのように「しれっ」とした表情。毘沙門天の力んだ表情との温度差がありすぎて、何だか可笑しい。
平常展と、中国の青銅器の展示も、駆け足ながら見る。青銅器の名前はパソコンで打てそうにないややこしい漢字ばかり。丸底の鍋に足がついているのがぞろっと並んでいる。最後に平常展、インド、ギリシャから日本までの仏像の歴史。興福寺の十大弟子、緊那羅像、秋篠寺の伝救脱菩薩の前まで行くと、ほっとする。ここの仏さまは、何度見てもほっとする。
せっかくの機会やし、句会/歌会とまではいかんけど、何か詠もうよ、ということで、数も定めず思いつくままに句と歌を。同じ日に同じものを見てもそれぞれ違う作品が出てくるところが、吟行の楽しいところ。で、作品を読み返して、(そうそう、あんなんあったあった)と思ったり。
レイモンド飛田
毘沙門の下から逃げた邪鬼として三十三所あそびゆきたし
首だけになりて菩薩は秋思する
パナマ帽かぶせたし半跏思唯像
千手観音像の魅力といへばまあ打上花火的な何かと
千手像の下で赤子が泣く秋暑
X線にて浮かびたる骨片は仏像内でいまだ孵化をまつ
レイモンドさん。「パナマ帽かぶせたし―」は人を喰った感じで楽しい。「千手観音像の魅力といへば―」は、レイモンドさんの肉声。(こんな風に、フモールのある語り口の方です。)「X線にて浮かびたる―」の像は、性空上人。像の中に上人の骨が納めてあるのだとか。
黑山耀子
ひいなほどちいさきお手の施無畏印このわたくしもゆるされている
鹿走る後に茸の死屍累々
「ひいなほどちいさきお手の―」仏像にたくさん手を付ければ付けるほど、ひとつひとつのてのひらは小さくなりがち。差し伸べられる手は「救い」の象徴なんやろうね。「鹿走る後に―」は、実景。奈良公園の芝生の上にパスタ皿くらいの大きさの白い茸がどかどか固まって生えていたのを見て。怪しい茸やったねえあれ。
十谷あとり
魚の骨のかたちの琴に秋の風
白昼夢くさびらの裏のひだ黒し
秋の野を鼎の足は足早に
座席のうへのひかりが床へ落ちてゆき秋の列車は峠をくだる
千手観音左右(さう)に差しだすてのひらのひとつにをはすちひさき仏
みほとけの半跏のすがた足ゆびのふくよかなれば触れまほしくも
「魚の骨のかたち―」行きしの電車の中で頭に浮かんだ句。吟行とまったく無関係なのに堂々と吟行詠として発表してみたり。「秋の野を―」は青銅器展から。三本足だったり四本足だったり、ほんまに何か、ととととっと走っていきそうな気がしたので。