相良宏 岸上大作
2008年 10月 11日
相良宏 『相良宏歌集』抄より
こひねがひなべて虚しく手を涵す秋のれんげのやわらかにして
犬の仔を犬の乳房に押しつけて少年はたのし手を一つ拍つ
暗緑の脚らもがけるかなぶんぶん眠りの前のやすらぎとなる
生活といふには淡き生活の或る日心電図をとられをり
四月より五月は薔薇のくれなゐの明るむことも母との世界
ながらへて脆き前歯を欠かしめし白桃の核を側卓に置く
岸上大作 『意思表示』抄より
意思表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチ擦るのみ
海のこと言いてあがりし屋上に風に乱れる髪をみている
血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする
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引用終わり。相良宏(1925-1955)は、3年くらい前、塚本邦雄の評論に引用されていた「生活といふには淡き生活の或る日心電図をとられをり」という一首を目にしてから、一度読んでみたいと思っていた歌人。仕事の行きがけ、ちょうど西大寺の駅で一旦電車を降りて、5番線ホームから3番線ホームへ移動する時にそのくだりにさしかかったのだった。
歌集を読んで、いいと思った歌を抜き書きする。そのノートに写した歌の中から、またいくつかを選んで、ブログに転記する。好きな歌集で行うこの作業は楽しい。
読む時の気分や体調によって、選ぶ歌は違ってくる。今の自分は割合静かな歌に惹かれるらしく、岸上大作はあまり気持ちにひっかからなかった。中城ふみ子の歌なら、愛憎がきつく匂う、いかにもふみ子らしい歌よりも、「絵本に示す駱駝の瘤を子が問へば母はかなしむその瘤のこと」の方が身にしみる。
昨日よいと思った歌を、今日いいと思うとは限らない。何年たっても、何度読みかえしてもその都度あたらしく惚れ直す歌もあると思う。だから自分が歌を書くときは(どうか少しでも長い時間の「読み」に耐えられる歌になりますように)と、祈るような気持ちになる。