カテゴリ:読書雑感( 263 )

読書の記録 神無月―霜月

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記録するのを忘れていた!いろいろ読んでいたのに!

神無月

『なぜ生きる』  高森顕徹監修 明橋大二 伊藤健太郎 1万年堂出版
『三浦半島記 街道をゆく 四十二』  司馬遼太郎 朝日新聞社
『オデオン通り』  アドリエンヌ・モニエ  岩崎力訳 河出書房新社
『人間 この未知なるもの』  アレキシス・カレル 渡部昇一訳 三笠書房
『マンガでわかる西式甲田療法』  甲田光雄・赤池rキョウコ マキノ出版
『自在力』  塩谷信男 サンマーク出版
『人間は瞬間瞬間に、いのちを捨てるために生きている。』  岡本太郎 イースト・プレス
『光への道』  桑原啓善訳 でくのぼう出版
『草の庭』(歌集)  小池光 砂子屋書房
『雲の塔』(歌集) 日高堯子 角川書店

霜月

『雷の落ちない村』(絵本)  三橋節子 小学館
『夢の力』  中上健次 講談社文芸文庫
『化粧』  中上健次 講談社文芸文庫
『廃墟からの祈り』  高島裕 北冬舎
『乙女の教室』  美輪明宏 集英社
『古代霊は語る』  近藤千雄訳編 潮文社
他、絵本数冊

『雷の落ちない村』はよかった。
ブで絵本を買ってきては眺め、(これええナ、これ好きやから、置いとこ)などとやっている。いい大人が。最近の楽しみはもっぱらそれ。
by konohana-bunko | 2012-12-09 23:28 | 読書雑感 | Comments(0)

『夢の力』『化粧』  中上健次

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中上健次 『夢の力』 (講談社文芸文庫 1994)所収、「一本の草」より、以下引用。

《ある時は、別な道を歩く。芽吹き、白い柔毛をつけた葉を、娘は、「おはな、おはな」と言いつのる。「きれいね、きれいね」と言う。娘の中には、「おはな」即「きれいね」というパターンができている。それは花ではなく葉だ。確かに、きれいだ。花の美しさはない。美しい花は存る。そして美しい葉はある。娘は、芽ぶいたばかりの小さい葉を、「おはな、きれいね、きれいね」と言うことによって、みつけたのだ。物をみつけ、同時に、言葉をみつけたのだ。私は、娘が、人間の子として生長しているのを知る。》

《夜中、眼ざめると、娘は、私の蒲団に入り込む。寝る時には片時も離さない”オフトン”のかどで顔を撫ぜ、指をしゃぶる。不意にここと言って頭をさす。私は頭を撫ぜる。この子ですら、死ぬのか、と思う。かつてたくさん人が死に、いま母は、故郷でいつ死ぬかわからぬ状態にある。この子ですら死ぬのか。》

同じく『化粧』(講談社文芸文庫 1993)所収、「蓬莱」より。

《いつもは、神馬として、大社の裏で飼われている白い馬が、ちょうど神主に引かれて、通りをやってきた。道があけられた。「白いお馬よ」と女房は子供達に教えた。馬の後に、赤い袴の、巫女が二人続き、その後にヤタガラスの絵柄のハッピを着た二十人ほどの男たちが続いていた。眼の前に来て、やっと気づいたのか、「馬、馬」と二人の子供は、口をそろえて言った。
彼は二人の巫女の姿を眼で追った。若い女だった。赤い袴が、新鮮だった。見物の人間にみつめられて、気圧される様子もなかった。口を固く結び、歩いていた。夢でみた女のようにたとえそこが道でなく、人の顔の上でも踏んで歩く、そういう顔に見えた。いや、赤い袴は、人の顔の上を踏んで通るのが似つかわしい。》

中上健次は、前に読んだ『重力の都』がすごくいいと思った。くらくらした。
今回読んだ二冊は天神さんの古本市で買った。講談社文芸文庫。

女をぼこぼこにし、ついでのようにこどもを殴り、女がこらえかねてこどもを連れて出ていってしまうと、さびしい、さびしい、帰って来てくれ、こどもに会いたいという男がいる。そういう男は世間にはけっこうたくさんいるのかもしれない。殴りたい、支配したいからおってほしいのか、執着なのか、業なのか何なのか。わたしにはわからない。男だけが悪いのでない、そんな男についていく女の気持ちもわからない。わかりたくない。この二冊の中に繰り返し現れる男とその女房は、肉親のように身近に思えてならず、それゆえになおさら理解も共感もしたくない、せつない人間像だった。



写真は11月23日の神農さんにて。

昨日はNHK「かんさい熱視線」で青空文庫さんの番組を観た。
by konohana-bunko | 2012-12-08 13:36 | 読書雑感 | Comments(0)

『人生は愉快だ』 池田晶子

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『人生は愉快だ』 池田晶子 (2008、毎日新聞社)所収、「言葉はそれ自体が価値である」より、以下引用。池田さん細切れにしちゃってすんません。

《本には値段がついている。本は商品である。それなら、言葉にも値段がつくのだろうか。言葉は一般商品なのだろうか。》

《「でも売れなければしょうがないでしょ」と、人は言う。なぜ売れなければしょうがないのだろうか。
この問いをもまた彼らは所有していない。生活のため、生存のため、すなわち生きるためには売れなければしょうがないということらしい。それなら、なぜ生きるためにわざわざ言葉の仕事を生業として選ぶ必要があったのだろうか。》

《値段は価値ではない。逆に、言葉に値段がつくと思うそれがその人の生の価値だ。だから、安い言葉を大量に売り飛ばして平気なのである。》

《私は、安い言葉を売り飛ばすくらいなら、言葉の仕事など選ばない。それは自分が安い人間になることに他ならないからである。安い人間になってまで生きている理由など、少なくとも私には存在しない。
なんてことばっかり書いているから、私の本は、決して「売れない」。生きるか死ぬか覚悟を決めな、なんて言葉を、普通の人は欲さないのである。編集者たちだってわざわざ火中の栗を拾うようなことをしなくたって、安全な書き手は他にいくらでもいる。
だからこそ、私は言葉を書いている。かくも愚劣な言論出版界だからこそ、正しく価値のある言葉を書くことに価値があるのである。そして、正しく価値のある言葉は、正しく価値のある読者には、必ず届くことになっている。我々にとって本質的価値は不動だからである。
決して「売れて」はいないけれども、確実に「読まれて」いる手応えを、私は感じている。》

引用終わり。
哲学の本はあまり読まないが、池田晶子の本はときどき買う。
引用した文章、そうだそうだその通りだ!と、諸手をあげて賛成するほどの覚悟はわたしにはないのだけれど(その覚悟こそがわたしに最も不足しているものかもしれない)、何かここに、読み飛ばしてしまえない、すごく大事なことが書かれている気がする。特に、最後の三つの文あたり。
by konohana-bunko | 2012-12-06 19:54 | 読書雑感 | Comments(0)

日高堯子歌集 『雲の塔』

日高堯子歌集 『雲の塔』 (角川書店 2011)より、好きな歌を気の向くままに、以下引用。


たまごの殻おもとの鉢にならべつつふと夢を見ぬ身体にぬくく

顔半分ひかりのなかに消えながらとら猫きたり秋のくさむら

春疾風 不忍池を吹きぬけてわたあめを、顔を一瞬に消す

なかへちへ入る田辺は口熊野 春のきのこが白傘たてて

岸辺には犬が待ちをり雌犬なり乳房に斑あり母かもしれぬ

坊主めくり母とする日のひだまりの赤いざぶとん黒いざぶとん

胎蔵界曼荼羅いでてゆふやけの春の畑に葱とりにゆく

雨あがりの茸のやうにぬきぬきとならぶ力士らももいろの四股

八房に懸想されたる伏姫の顔すでに犬、犬のさびしさ

いただきにキザキザ三つゑがきたるわが幼日の富士山かなし

去年の破魔矢火に投げこめばもえあがる刹那すずしき鈴なりにけり

白間津から忽戸まで花の道5kmきんせんくわたんたん、すとつくぽうぽう

水神家 菅生家 天羽家 みな美しき姓なれど今日の葬の立て札

をちこちに蜜蜂の巣箱がおかれゐて柩のやうだ春のげんげ野

老い母に顔よせ父がなにか問ふベッドのめぐり夜の蛾、羽虫
by konohana-bunko | 2012-11-18 23:27 | 読書雑感 | Comments(0)

前登志夫 『青童子』

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前登志夫歌集『青童子』(短歌研究社 1997)より、以下引用。



夜となりて雨降る山かくらやみに脚を伸ばせり川となるまで

炎天に峯入りの行者つづく昼山の女神を草に組み伏す

秋の日の障子を貼りて昼寝(ひるい)せり国栖びと漉きし紙のきりぎし

さくら咲くゆふべとなれりやまなみにをみなのあはれながくたなびく

朴の葉の鮓をつくりて待ちくるる武蔵村山かなしかるべし  司修氏に

神童子(じんどうじ)の谿に迷ひてかへらざる人ありしかな 鹿ありしかな

いまははやたのしきことの淡くしてイースター島の石人恋ふる

わが犬は悪しき犬なり山行ける主人(あるじ)を捨てて村をうろつく

往きてかへるくるしみなれや春畑(はるばた)にひかりをはじき硬き蟲来つ

髭籠(ひげこ)にぞ盛りあげたりし野の花を石となりゐる母に供へつ

ゆうらりとわれをまねける山百合の夜半の花粉に貌(かほ)塗りつぶす

炎天を運ばれてきし野葡萄のつぶら実守(も)ればわれは眞清水

虔十の死にたるのちぞ虔十の育てし木木は人憩はしむ

百済観音提げてゐたまふ水瓶(すいびやう)をあふれこぼるる春の日ありき

さくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへり

ことしまた梟啼きぬわたくしの生まれるまへの若葉の闇に
by konohana-bunko | 2012-10-24 19:35 | 読書雑感 | Comments(0)

斎藤学 『依存と虐待』 日本評論社

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斎藤学(さいとう さとる)著『こころの科学セレクション 依存と虐待』(日本評論社)より、以下引用。



結果を言えば、竹内演劇教室のレッスンはこころとからだのバランスをとることにも、ぜんそくを治すことにも、ほとんど役に立ちませんでした。それは自分の中に外からの言葉を受け入れる準備ができていない時に、心理的なレッスンを受けても何にもならないのと同じで、当時の私はまだ、教室のトレーニングを受け入れることができなかったのだと思います。人が本当に変わるとしたら、それは人や本から知識を得たからではなく、何か魂のレベルでの変容が起こり、日常の行動そのものが変わっていくのだと思います。そしてそのためには、こころの深いところで癒されるという体験が必要で、当時の私はその段階にはほど遠かったのだと思います。(p99 「アルコール・薬物依存からの回復」より)

私にとっていちばん癒しのきっかけになったのは子どもなんです。子どもが私にとっては最高の精神科医だったんです。私は離婚して仕事もできなくなり、うつ状態になって寝たきりになっちゃったんです。そういうのが何年も続いた。その時は、経済的にどうやって生きていいかわからないというのでうつ状態になったのかと思ったけれども、今思うと、父からの性的虐待も含めて子ども時代に受けた虐待の傷がずっと残っていて、離婚や経済的不安をきっかけに出てしまった。寝たきりで、本当に悲惨な状況だったんです。
子どもは中学三年ぐらいだったと思うんですけど、寝たきりになっている私に、「ぼくは暑くもなく寒くもない日に外を歩いていて、道端に雑草が花を咲かしているのを見ると、それだけで幸せだなあという感じがするんだよ。生きているだけで幸せだなあという感じがするんだけど、お母さんはそういう感じないの」と言ったんですね、ポツリと。私は外を歩いていて幸せと思ったことは一度もない。だけど、子どもはそういう状況下でも、すごく自分を信頼して希望を失っていないんです。
そういう子どもを育てたのは私なんですよね。私が育てた子どもがこういうことを言うんだから、私という人間は結構捨てたもんじゃないなと思えるようになった。経済的に悲惨な状況にもかかわらず、そういうふうに希望を失わない子どもを本当に幸せにしてやりたい。とにかくできるところまでやってみようと思って、それがまた立ち直るきかっけになったんです。(p168-169「家族内トラウマの後遺症と癒し」より)



引用終わり。
10年前くらいか、斎藤学さんや西尾和美さんの本を集中して読んでいた時期があった。泣きながら読んだりしたこともあった。しかしその後、気持ちの浮き沈みが落ち着いてからは、ぷっつりと遠ざけて読まなくなった。本棚の目につかないところにしまい込んだ。過去の問題を克服した、と、自信が持てたわけではない。再び読むことで心身共に苦しかった時期の気分に逆戻りしたくなかった。過去と向き合ってばかりでは疲れてしまう。
それが最近また、おそるおそる引っ張りだして読んでみている。「斉藤さんや西尾さんの本、読んでみたら」と、人に薦めたくなるようなことがあったので……。今は、読んでも、そんなに苦しくはならない。いろいろ、思い出しはするけれど。
その人が読むかどうか、役に立つかどうかはわからないけれど、こういう本があるよ、と伝えるだけは伝えてみようと思う。
by konohana-bunko | 2012-10-09 10:10 | 読書雑感 | Comments(2)

読書の記録 長月

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『Yの森』(歌集)  吉野裕之  沖積舎
『王のテラス』(歌集) 寺島博子  ながらみ書房
『まりーちゃんとひつじ』(絵本)  文と絵 フランソワーズ 訳 与田準一 岩波書店
『強く生きるために』  美輪明宏  主婦と生活社
『やまなしもぎ』((絵本)  平野直再話  太田大八画  福音館書店
『もりのなか』『また もりへ』(絵本)  マリー・ホール・エッツ ぶん・え  まさきるりこ やく  福音館書店
『問題解決のための瞑想法』  天外伺郎  マキノ出版
『おひさまがいっぱい』(絵本) 詩 よだじゅんいち 画 ほりうちせいいち  童心社
『青童子』(歌集)  前登志夫  短歌研究社
『にいさんといもうと』(絵本)  文 シャーロット・ゾロトウ 絵 メアリー・チャルマーズ 訳 矢川澄子 岩波書店
『御馳走帖』  内田百閒  中公文庫
『ところで、あなたは…?』  やなせたかし  三心堂出版社
『こころの科学セレクション 依存と虐待』  斎藤学編  日本評論社
『ガンディー 魂の言葉』  浅井幹雄監修  太田出版
『神道 感謝のこころ』  葉室賴昭  春秋社 
『雲の塔』(歌集) 日高堯子 角川書店 角川短歌叢書

百鬼園先生は読んでいて何故かだんだん腹が立ってくることがままあるのだけれど、『御馳走帖』は素直に楽しかった。岡山のお寿司(ちらし寿司)、美味しそうだった。福武文庫の『まあだかい』と並べておくことにする。

写真、江津良浜にて。
by konohana-bunko | 2012-09-30 23:50 | 読書雑感 | Comments(0)

現代短歌そのこころみ 関川夏央

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先月、『現代短歌 そのこころみ』 関川夏央(集英社文庫)をようやく読了。この本から、引用歌の孫引きになるが、自分のために書き写してみる。



沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ  斎藤茂吉

春のめだか雛の足あと山椒の実それらのものの一つかわが子  中城ふみ子

妻を得てユトレヒトに今は住むといふユトレヒトにも雨降るらむか  大西民子

悦びの如し冬藻に巻かれつつ牡蠣(ぼれい)は刺(とげ)を養ひをらむ  中城ふみ子

野に風のわかれのやうな愛終えてわれら佇つとき響(な)るまんじゆしやげ  小野興二郎

水風呂にみずみちたればとっぷりとくれてうたえるただ麦畑  村木道彦

奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが累々と子を持てりけり  葛原妙子

あの夏の数かぎりなきそしてまたたった一つの表情をせよ  小野茂樹

目の前のそら明らめるさみしさや一房の藤を母もちたもう  浜田到

硝子街に睫毛睫毛のまばたけりこのままにして霜は降りこよ  浜田到

亡き母よ嵐のきたる前にしてすみ透りゆくこの葉は何  浜田到

ほらあれは火祭りの炎ふるさとに残った秋をみな焼くための  永井陽子

北鎌倉橋ある川に橋ありて橋あれば橋 橋なくば川  石原吉郎

今生の水面を垂りて相逢はず藤は他界を逆向きて立つ  石原吉郎

けふのみの武蔵国原手を振れば八月(はちげつ)の雲の涌きやまずけり  石原吉郎

家々に釘の芽しずみ神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな  大瀧和子

佐野朋子のばかころしたろかと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず  小池光

水滴のひとつひとつが月の檻レインコートの形を抱けば  穂村弘

暗い燃料(フエル)タンクのなかに虹を生み虹をころしてゆれるガソリン  穂村弘

夕闇の受話器受け(クレイドル)ふいに歯のごとし人差し指をしずかに置けば  穂村弘



写真は和歌山にて。ヨシのいとこみたいな植物は、ダンチク(暖竹)。
by konohana-bunko | 2012-09-26 11:38 | 読書雑感 | Comments(0)

読書の記録 葉月

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日が経つのが早いなあ。

『汀暮抄』(歌集) 大辻隆弘 砂子屋書房
『仏教が好き!』 河合隼雄×中沢新一 朝日新聞社
『こどもたんか』(歌集) 本多稜 角川文芸出版
『短歌実作の部屋』 玉城徹 短歌新聞社
『私の手が語る』 本多宗一郎 講談社文庫
『現代短歌 そのこころみ』 関川夏央
『うめ版 新明解国語辞典×梅佳代』 梅佳代 三省堂
『「やさしい」って、どういうこと?』 アルボムッレ・スマナサーラ 宝島社
『おやすみ、アンニパンニ!』(絵本) 文と絵:マレーク・ベロニカ 訳:羽仁協子 風濤社

『こどもたんか』について、「うた新聞」8月号に書かせていただきました。

写真、9月2日の月の出。
by konohana-bunko | 2012-09-09 19:09 | 読書雑感 | Comments(2)

『王のテラス』 寺島博子

寺島博子歌集『王のテラス』(ながらみ書房)より、以下引用。

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赤き実に帰天のこころ黒き実に堕天のこころふたつ寄りそふ

相呼ぶといふやさしみを秋は見すひかりが風を風が記憶を

また来いと言ふ声を風に聞く耳に苦しめられむこの先長く

そのむかし身罷りたるもゆめになほ騒ぐもうぢき春ぢや春ぢやと

落雁をのせれば舌に一羽二羽とろけてゆくも音しめやかに

みづうすく張られたる空に水紋を広げながらにさへづる一羽

白き象を普賢菩薩に拝借しひとまはりせぬ初秋の街を

ワンピースの背中を割りてあらはるる翅をもたざるむすめのからだ

何ものの命かわれに添ふとさへ思へてならぬ日暮れの風に

こほろぎの一匹を胸の奥に飼ひときに畳に出だして鳴かす

なにがしかの覚悟そなはる出刃をもて寒の厨に魚を捌くに
by konohana-bunko | 2012-09-07 20:25 | 読書雑感 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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