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どっどど どどうど

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昨夜(28日夜)強い風が吹いて、朝方少しだけ雨が降った。
風の中を自転車で走っていたら、かりんの木の下に、
ソフトボール大の実がどこどこ落ちているのを見つけた。

3つ拾って、持って帰った。
地面にぶつかった傷口から、かりんの匂いがする。
ちょっと胸がむっとするような匂い。

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

(『風の又三郎』 宮沢賢治)

追記。
今朝(30日)の読売新聞(朝刊/奈良版)の記事より。
ぬれ落ち葉で電車空転
29日午前7時ごろ、桜井市の近鉄大阪線大和朝倉―長谷寺間で、上本町発名張行き普通電車(4両)にぬれた落ち葉がからまり、車輪が空転。電車は少しずつしか進めず、約30分遅れで長谷寺駅に到着。同駅で運行を取りやめ、乗客30人は後続の電車に乗り換えた。このため、上下線20本が運休し、30本が最高約1時間30分遅れ、約5000人に影響した。
現場は沿線に落葉樹が並ぶ上り坂。近鉄の調べでは、深夜、線路上に積もった大量の落ち葉が、早朝からの雨でぬれ、車輪にからみついたとみており、「時節柄とはいえ、非常に珍しいケース」としている。
by konohana-bunko | 2005-11-29 21:37 | 日乗 | Comments(0)

小春日和

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「ネコはイヌよりフードに飽きるのが早い」のだそうだ。先日の日経流通新聞にそう書いてあった。
ちょんぴも結構好き嫌いがあるし、確かに食事に関しては飽き性かもしれない。
基本的には魚が好きだ。刺身を分けてやると喜ぶ。ちりめんじゃこやかつお節も好きだが、これは食べ過ぎると吐くことが多い。
普段はキャットフードを食べている。最近のお気に入りはカルカンのレトルトパックだ。以前は缶詰なんて薬を飲ませる時にしかやらなかったのに、だんだん贅沢になってきている。甘やかして、と自分でも思わないでもないが、美味しそうに食べているのを見るとつい買ってしまう。
カリカリはずっと、カルカンのブレッキーズを食べていた。ところがある日からプイと見向きもしなくなってしまった。
飽きてしまったのである。これには困った。仕方なしにシーバを買ってやったらえらく喜んでばりばり食べている。喜んで食べてくれるのは結構だがシーバは割高である。それに残ったカルカン(4.5㎏の袋)がもったいない。こどものおやつではないので「しょうがないからわたしが食べる」というわけにもいかない。
最近はブレッキーズの上に、シーバの小袋パックの粒をトッピングしてだましだまし食べさせている。物言わぬ猫に、こちらが飼いならされている風情である。
by konohana-bunko | 2005-11-27 17:37 | 猫是好日 | Comments(2)

『夜と霧』  V.E.フランクル

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近所のリサイクル書店で購入。750円。リサイクル書店にしては安くないが、これは一度は読まなければならない本なのではないかと思って、買った。著者は1905年ウィーン生まれの精神科医(フロイトにも師事した由)。『夜と霧』は著者のドイツ強制収容所での体験に基づいて書かれたもの。前半に2段組でドイツ強制収容所の解説があり、真ん中に本文、巻末に写真・図版がついている。

以下引用。

たとえもはやこの地上に何も残っていなくても、人間は―瞬間でもあれ―愛する人間の像に心の底深く身を捧げることによって浄福になり得るのだということが私に判ったのである。収容所という、考え得る限り最も悲惨な外的状態、また自らを形成するための何の活動もできず、ただできることと言えばこの上ないその苦悩に耐えることだけであるような状態―このような状態においても人間は愛する眼差しの中に、彼が自分の中にもっている愛する人間の精神的な像を想像して、自らを充たすことができるのである。天使は無限の栄光を絶えず愛しつつ観て浄福である、と言われていることの意味を私は生まれて始めて理解し得たのであった。(p123,124)

愛する人間がまだ生きているかどうかということを私は知らなかったし、また知ることができなかった。(全収容所生活において、手紙を書くことも受け取ることもできなかった。そして事実妻はこの時にはすでに殺されていた。)しかしこの瞬間にはどうでもよいことであった。愛する人間が生きているかどうか―ということを私は今や全く知る必要がなかった。そのことは私の愛、私の愛の想い、精神的な像を愛しつつみつめることを一向に妨げなかった。もし私が当時、私の妻がすでに死んでいることを知っていたとしても、私はそれにかまわずに今と全く同様に、この愛する直視に心から身を捧げ得たであろう。(p125)

人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果すこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。(p183)

(一部略)――われわれの戦いの見込みのないことは戦いの意味や尊厳を少しも傷つけるものではないことを意識するように懇願した。わたしは彼等(引用者註:彼等=仲間達)に云った。この困難な時と、また近づきつつある最後の時にわれわれ各自を誰かが求めるまなざしで見下しているのだ……一人の友、一人の妻、一人の生者、一人の死者……そして一つの神が。そしてその者はわれわれが彼を失望せしめないことを期待し、またわれわれが哀れに苦しまないで誇らしげに苦しみ死ぬことを知っているのを期待しているのだ。(p191)

引用終わり。
最後の引用文あたりを読んでいて、昔気に入ってノートの表紙に書いていた文句を思い出した。大江健三郎の『洪水はわが魂に及び』(上巻/新潮文庫)に出てくる一節。幸い手許にあるので、ついでに(と言っては何だが)書き写してみる。

How touching it must be to a soul in dread before the Lord to feel at that instant that, for him too, there is one to pray, that there is a fellow creature left on earth to love him too!

恐れおののきながら主の前に立ったその人の魂にとって、その瞬間、自分のためにも祈ってくれる人がいる、地上にまだ自分を愛してくれている人間が残されていると感ずることが、どんなに感動的であろうか。  (新潮社版『カラマーゾフの兄弟』原卓也訳より)

この文庫本、高校3年初読の時のもの。表紙カバーの汚れっぷりがなつかしい。これを読んだ時(自分も、こんなことを頭のほんの隅っこでいいから、忘れずに生きていけたら)と、思ったのだった。
by konohana-bunko | 2005-11-26 17:38 | 読書雑感 | Comments(0)

路地の猫その2

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いかにもいいもの食べさせてもらっていそうな、顔のでっかい猫だった。
by konohana-bunko | 2005-11-25 21:17 | 猫是好日 | Comments(0)

杉本健吉展

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所用があって近鉄奈良駅まで出向く。平日なのにそこそこな人出。まずは用を済ませて、その足で元興寺へ。銀杏の黄葉がきれい。
五十二段を通って興福寺前へ。今日は鹿がいた。雄鹿のグループで、観光客にせんべいをもらったり、芝の上に箱を作ったりしている。角のない頭と頭を突き合わせ、力比べをしているものもいる。恋の季節なのだ。時折「ミィー」とも「フィー」とも付かぬ鳴き声も聞こえる。「しかぞなくなる」、だ。
登大路を渡って、県立美術館へ。杉本健吉展。以前薬師寺で、杉本健吉作の散華(とてもかわいらしい伽陵頻迦の絵)を見かけてから、どんな絵を描く人なのか気になっていた。素朴だけれど、線にやわらかい力があって、好きな絵だなと思う。見ていてこころが和む。会津八一、入江泰吉、須田剋太とも親交があったという。すごい人のところにはすごい人が集まるんやなあ。感心しながら展示の前を進んで行って、静物画のところで足が止まった。壺の絵なのだが、その壺が絵からぽこんと浮き出て、本物の壺になっていたのだ。(えっ)と思った。近寄って目をこらす。それはどちらかと言えばラフなタッチの作品で、そう上質でもない紙の上に、コンテの線と面で描かれている。しかし少し離れて見ると、壺はにわかに丸くふくらんできちんと重みを持ち、おまけに釉のかかった表面に光があたってつやつやして見える、いや、いるのだ。絵を見てこんな感じを受けたのは、はじめて。絵って、すごいなあ…いやあ、ほんまにびっくりした。
by konohana-bunko | 2005-11-24 22:01 | 日乗 | Comments(0)

外出

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20日(日)は所属結社の歌会へ。ご縁があって2つの結社に所属しているのだが、今回は2つの歌会の日程が重なるという椿事が起きた。5年やってるけど、こんなん、はじめて。
(゚Д゚;)もちろん、どんなに残念でもどちらかはお断りしなければならない。何とも心苦しく恐縮なこととなった。
参加した方の歌会の場所は中之島公会堂。歴史のある建物ということで、ぜひ写真を!とデジカメを持って行ったのだが、いざ到着するとばたばたしてしまい結局撮らなかった。残念。
歌会でまともに意見を述べられない(あがって上滑りの読みしかできない)のは相変わらずだが、今回の歌会に関しては、意見交換の中からいくつか作歌のヒントを拾えた気がする。それが、うれしい。歌会は参加者の顔ぶれによって雰囲気が変わるものだが、ここは回を重ねるごとにどんどん「歌そのものについて掘り下げて話ができる」空気になってきていると思う。

23日(水・祝)は久し振りに予定のない1日。庭の掃除をする。草取り、枯れたアキメネスの処分、スイトピー(品種名なし、袋には「かわいいスイトピー」とのみ。かわいい花が咲くのか?)の種まき。放置している間に、スイセンの芽もテッポウユリの芽も出てきている。ロウバイの花芽もふくらんできた。小さい庭なので掃除はすぐ終わる。あとはブッドレア(高さ3m)とつるバラの剪定だけ。と、書くのは簡単だが、これが年間最大の庭仕事。気合で、乗り切ろう。
by konohana-bunko | 2005-11-23 14:31 | 日乗 | Comments(0)

玉突き読書

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金井美恵子から解放されたとたん、とにかく明るくて、穏やかで、わかりやすいものが読みたくなる。ちょうど手許にあったのが『口丹波呑呑記』(田島征彦/新潮文庫/1986)。一気に読んでしまった。『じごくのそうべえ』を息子どもに読み聞かせしたことをなつかしく思い出す。あたたかくユーモラスに書かれているけれど、畑を作り絵を描くことで家族を養い生きていくというのは、これはほんまに並大抵のことではないやろうな、と思う。生命力のみなぎる絵を描く人だと前々から思っていたが、逆だ。生命の力がみなぎっている人だからああいう絵ができてくるのだ。

『添寝の悪夢 午睡の夢』の中に、宮沢賢治の『貝の火』に触れた文があった。未読だったので青空文庫で読んでみる。うーん、これはまた何とも言えず重い童話…。貝の火の描写が非常に美しい。以前図書館で借りて読んだ『ジャータカ・マーラー 本生談の花鬘』(干潟竜祥/講談社/1990)のことを思い出す。釈迦の過去生の妃が愛でる紅蓮華青蓮華、また釈迦の前身である神々しい鹿。宮沢賢治の描く貝の火は、それらのめくるめく表現と同じ光を放っているように感じた。
by konohana-bunko | 2005-11-18 22:02 | 日乗 | Comments(0)

『添寝の悪夢 午睡の夢』 金井美恵子

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以前『KAWADE夢ムック 文藝別冊 [総特集]作家と猫』(2000/6)という本(写真上)で、金井美恵子のエッセイを初めて読んだ。書くことにいきづまった作家は何を書くことでしのぐか、というようなタイトルで、「〈おとうと〉でしのぐ人もいれば〈猫〉でしのぐ人もいる、〈猫〉でしのぐようになったら終わりだがわたしはまだ〈料理〉でしのぐところまではいっていない云々という短い話だった。これがおとうとの歌も詠めば猫の歌も詠む当方としては非常に面白く(苦笑)、またいつだったかナンダロウアヤシゲさんが日記で「金井美恵子は面白い」と書いていたことにも後押しされて、本書を手に取った次第。
しかしこれが思いがけず難読な本だった。書かれていることが古い(1976年初版)からではない。また、わたしの知らない本や演劇や美術の話が出てくるからでもない。文章自体が読みづらいのだ。

 ”世界中の少女のお友達”である赤毛のアンについて、世界中の少女と、かつて少女であった人人たちをむこうにまわしてまでも悪口を言う気にはなれないし、かつて、わたし自身がアンのお友達だったこともあることだし、ようするに、少女たちが、なぜ、『赤毛のアン』や『若草物語』を好きなのか、そして、これらの物語から、いかに深く甚大な良い影響を与えられてきたのか、良い影響、あるいは、昔の少女小説風の感化というものが、本当にあったのかどうかを考えてみよう。(p108「ありきたりの体験 赤毛のアン」)

これで1つの文なのだ。もちろんこんな長い文ばかりではないし、この文体にはとても魅力があることは認める(だから最後まで読めたのだ)が、読んでいて疲れるしはかどらないこと甚だしい。わたしとしては、この本の金井美恵子の文章は「面白いが決してお手本にしてはいけない悪文」に分類したいと思う。こんなに疲れたのは大江健三郎以来だな。

写真下、今朝の有明の月。
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by konohana-bunko | 2005-11-17 23:05 | 読書雑感 | Comments(0)

実のなる木

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写真上はアメリカフウの木。写真では見えづらいが、イガイガのような球形の実がぶらさがっている。実の大きさは直径4cm前後。この実は鳥の餌にはならない。硬くて、かたちが面白いので、リースやオーナメントの材料になる。
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写真中はハナミズキの木。クリスマスツリーの飾りのような、赤くてつやつやした実がなる。きれいだが、鳥が好んで食べるので年末頃まで残らないことが多い。長さ1.5cm前後で、どんぐりのような紡錘形。ジョウビタキが食べているところを見ていると、喉が詰まらないのかとはらはらする。
さて、では、写真下の木は何の木(何の木の実)でしょう?(ヒント:鳥はこの実は食べません。)
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by konohana-bunko | 2005-11-13 21:19 | 日乗 | Comments(5)

さらさらに ―近詠四首

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短夜に裂きて散らせる文反故雨に褪せゆく八重の梔子

野を風は吹き渡りきて蒲の穂のほつれそめたる絮光らしむ

無蓋貨車軋みつつ遠ざかりけり星の霜置く夜の末枯野

塩壺につぎたす塩のさらさらに思はぬ思ひは風のさざなみ

(ルビ:文反故 ふみほうぐ/絮 わた/思ひ もひ) 
by konohana-bunko | 2005-11-12 10:01 | 空中底辺 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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