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Berlin Books

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28日(土)、蒸し暑い。心斎橋のブへ行く。ここの単行本コーナー(105円じゃないところ)、わたしが勝手に「詩歌句集の収容所」と呼んでいる一角で、葛原妙子『随筆集 孤宴』(小沢書店 1981)を見つける。今日はこれを買えただけで来た甲斐があった。
その後、大阪農林会館へ。ブから歩いてみたらびっくりするくらい近かった。ここも船場ビルヂング同様、近代建築を改装した味のある建物。若い世代の人が服飾や雑貨などのお店を出している。雑貨・アクセサリー・ボタンなどのお店 foo を覗く。ここのビルの窓がすてき。深緑に塗られた鉄製の窓枠、網入りの分厚いガラス。そのまま持って帰りたい。
その後、ビル内にused booksの看板を発見し、一気にテンションが上がる。Berlin Books。猫関係の本、絵本、武田花、金子光晴、宮沢章夫……とツボを押しまくられる。ここは、またあらためてゆっくり見せてもらわなければ。
by konohana-bunko | 2007-07-30 22:43 | 古本屋さん見聞記 | Comments(4)

『軽みの死者』 富士正晴 編集工房ノア

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天地さん均一にて。編集工房ノアの本を読むのははじめて。あ。奥付のところ、「軽みの使者」になってる。

人の死にまつわるあれこれ、短い話が14篇収められている。そのうちのひとつ、「游魂」は短い小説。話は、中国の歴史(文学)学者が、自室で自分が死んでいることに気付いて愕然とするところから始まる。

死ぬ前、彼は、死後の世界も霊も信じていなかった。「死=物在人亡」だと思っていた。死んでみて(これが物在人亡か)と考えるうち、この「物在人亡」四文字の出典が思い出せないことに気付く。死ぬ瞬間の猛烈な失神状態によって、記憶が欠落してしまったのだ。
彼は四文字の出典を確かめようと自宅の本棚の本に当りはじめる。死者の読書とは以下のようなものであるらしい。

《その充実した読書生活が、どこへ行こうと思えは閉鎖された書庫であろうと個人公共の別もなく浸透し飛行往来できる強みを加えるとなると、自由自在のものとなり、時間も際涯なくたっぷりと我がものであるこの死後の生活は何とも頼もしいものと言わねばならない。しかもこの読書はいわば文字の表をぴったりと往来するだけで行われるのであるから、敗戦以後のあの浅ましい電力事情とか電力ストとか荒たけった世相のとばっちりを受けて三十分交代の停電に気をいら立たせる要もなく、また乏しい嚢中を案じつつ闇値のローソク、ランプの類を備えることもいらない。蛍の光、窓の雪さえ不要、闇の中をもおそれない。むかし北京遊学の折、シナの夜は暗いと感じたそのことさえ今は事実別世界のことがら、朝八時より夜十時まではおろか、一日二十四時間、書物をよみふけって居れば良いのである。私はこうして非常なよろこびをもって書物の中を往来した。》(p22)

本をひとしきり読み終えて、ふと我に返った彼は家族を捜してみるが誰も見当たらない。家族だけでなく、生きているもの一切を見ることも感じることもできなくなっている。彼は

さびしさに耐へたる人のまたもあれな 庵並べむ冬の山里  西行

こんな歌を思い出したりしながら、通いなれた研究所の書庫へ行く。生きているものを感じることができなくなった今、死霊どうしの交流に淡い期待を抱いて。

《私は大書庫の書冊の間を彷徨しつづけた。それは千里の間を往来するのと別に差異ないのである。距離というものも意味を失ったらしい。時間というものもそうらしい。すると、わたしが杜甫に遭遇するということだってあり得ることなのだ。しかしそう考えると妙に不快にもなって来るのだった。初めての人間に逢うことの不愉快さ、いやそれよりはおれは書物だけで結構なのだろう。》(p38-39)

で、結局のところ、彼は死霊に会うことも、死霊の死を遂げることもできない。ようやく発見した物在人亡の「在」の字にひっかかって身動きができなくなったところで話は終わる。
by konohana-bunko | 2007-07-28 22:00 | 読書雑感 | Comments(0)

かたときも休むことなく

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アゲハ飛来、つづいてキアゲハ飛来。
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キアゲハ、夏型は大きい。カメラも気にせず、一心不乱に蜜を吸う。かたときも休まず、はばたき続ける。
2頭とも、しばらくしてブッドレアの花から離れる。互いの存在に気付き、縦にらせんを描いて、からみあうように高く舞い上がったのち、飛び去る。
by konohana-bunko | 2007-07-26 23:35 | 日乗 | Comments(0)

智林堂さんまで歩く

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22日(日)、所用で奈良まで。せっかく奈良まで来たので、智林堂さんまで歩く。この日は店主どのに代わって、智林堂さんのblogで何度かお話させてもらっているnara-pandaさんがお店番。はじめましてのご挨拶をさせていただく。今江祥智『子どもの国からの挨拶』金井美恵子『切りぬき美術館 スクラップ・ギャラリー』を買う。金井美恵子のこの本、新刊で買おうかと悩んで、悩んだまま買い忘れていた本だったので、とてもうれしい。写真も撮らせていただいて、ありがとうございました。
上の写真、いつもと違う角度から。(あっしまった。50円均一のところ見るのを忘れた!)
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本棚のほんの一部。この写真を見て「おっ」と思われた方はもちいどのセンター街へgo!
by konohana-bunko | 2007-07-23 21:55 | 古本屋さん見聞記 | Comments(2)

興福寺猫

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おかあちゃん、あの人、何かくれるかなァ?
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くれへんわ、知らん顔しとき
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うん、わかった
by konohana-bunko | 2007-07-23 17:16 | 猫是好日 | Comments(2)

俵屋宗達のひらひら

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昨夜はすごい雷、雨。雷はいきなり「バァアアアアァン」だった。近すぎる。
雨が続いて、洗濯物を乾かすこと、雨の合間に買い物に行くことを中心に数日を過ごす。歯医者さんにも。歯磨きの指導を受ける。歯磨きは本当に難しい。
司馬遼太郎の小説『大盗禅師』を読む。小説は、久し振り。3分の2くらいまで来た。最初はいっこもおもろなくて往生した。誰に感情移入してええのか、わからへん。それがあるところから、急に話が生き生きと動き出した。こうなればしめたもの。
『大盗禅師』の表紙は、俵屋宗達の「舞楽図屏風」の一部を使っている(装丁:斉藤深雪)。舞楽を踊る人の長い裳裾が、風神雷神のあのひらひらした領巾みたいな線で描かれている。風間完もいいけれど、こういうのも合うよナと思う。

歌をぼりぼり書きたい。
by konohana-bunko | 2007-07-17 22:01 | 日乗 | Comments(0)

『アメリカ素描』  司馬遼太郎  新潮文庫

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・テレビで大相撲名古屋場所を観る。ここ数場所のご贔屓は、魁皇。豊真将。安馬も結構好きかも。ようあんな狭いところで、えらい力を出しはって。

ブックダイバーさんからいただいたメールに素敵なことばがあった。

「一寸先は光」



小学6年の時から司馬遼太郎が好きで、休み休みながらもずっと読み続けているわけだが、だからと言って司馬遼太郎の言いたかったことがちゃんとわかっているかというと決してそんなことはない。遠くに住んでいる物知りの伯父さんがたまに遊びに来て面白いことを話して帰る。その話を、電車に揺られている時とか、お風呂に入って頭を流している時にふっと思い出して(はァあんなんて言うたはったなあ)とひとり合点するような読書である。とにかく、語り口がなつかしくて仕方がないのだ。それは、声や、匂いみたいなもの。生理的な好みとしか言いようがない。

以下引用。

《私は、孔子の語録である『論語』がすきである。
しかしこの本を、予備知識なしでアメリカ人に読ませたらどういうことになるだろう。
むかし読んだ本のなかで、こういうことが出ていた。アメリカの学者がかの有名な『論語』を読んだ、というのである。
「インディアンの酋長のハナシみたいだ」
と、つぶやいたという。
私はその本を読んで、心から大笑いした。これほど東西文明のちがいをあらわした挿話はないだろう。
たとえば『論語』の冒頭「学而編」の最初のことばは、たれでも知っている。これをインディアンの老酋長ふうに訳してみる。
「お前たち、教わったことは、あとで復習するんだよ。あれは楽しいことなんだ」
すぐそのあと、別の話になる。
「友だちっていいもんだよ。とくにかれらが遠くからやってきてくれるときはね。これほどうれしいことはないよ」
さらに、一転。
「よく世間が認めてくれないといって怒る人がいるだろ。あれはいけないよ。平気でいるってことが、お人柄というものなんだ。わかるかね」》
(p137-138 「摩擦ゲーム」より)



雨が続く。写真は先週のノウゼンカズラ。
by konohana-bunko | 2007-07-13 21:48 | 読書雑感 | Comments(2)

うたたね

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枕高すぎ
by konohana-bunko | 2007-07-13 21:25 | 猫是好日 | Comments(2)

『私自身のための俳句入門』  高橋睦郎  新潮新書

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2ページに1ヶ所は「ほお!」と思うところがあって、その都度付箋を付けていたら本が七夕の笹のようになってしまった。こんなに付箋を付けまくったらどこがほんまに重要なところなのかさっぱりわからん。もともと、具体的な歌/句があっての批評は好きだけれど、難しい理屈(抽象度の高い理論)は、苦手。最後についている「付録 私の俳句修業」というところが一番面白かったりする。

以下引用。

《俳句が俳句として生き残る道は中心を季に置き、季の本質をさぐりつづけることにしかない。そんなところに自分の創意を活かす場はないと思うなら、その人はついに俳句には不要の人だ。いや、ことは俳句にとどまらない。詩にとってもまた不要の人なのだ。
大切なのは詩であって詩人ではない。そして、そのことにおいて俳句ほど徹底した詩はない。俳句の前に自分の創意などという卑小なものを無にする覚悟のできた人に、俳句は比類ない贈物を与える。》
(p193 「遊びはルールから」より)

《私の俳句修行といっても、私にだけ特別なきっかけがあったわけではない。書きはじめは誰にもお決まりの小学生時代の宿題だろう。もっともその時の処女作?はきれいさっぱり忘れていて、糸長君といった同級生の怪作群をなぜか詳細に覚えている。

夏が来る海水浴に行きますが
夏が来る山のぼりにも行きますが
夏が来るとんぼをとりに行きますが
夏が来るちょうちょもとりに行きますが
夏が来るさかなもつりに行きますが

ついでにいっておくと、この場合の「が」は私の育った北九州地方では逆接の助詞ではなく、「よ」よりもうすこし強い感動の助詞といったところだろうか。糸長君としては苦しまぎれの連作だろうが、私としては一種コンセプチュアルな面白さを感じたればこそ憶えているのだろう。》
(p202 「私の俳句修業」より)

写真、ブッドレアの蜜を吸うクロアゲハ。
by konohana-bunko | 2007-07-10 22:27 | 読書雑感 | Comments(5)

いきもの日記

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・職場にて。雨の日、窓を開けっぱなしにしていたらホトトギスの鳴き声が窓外を通過。ホトトギスはどうして天気の悪い日によく鳴くのだろうか。

・自宅、ブッドレアの花咲く。クロアゲハ、普通のアゲハ、ツマグロヒョウモン、モンキチョウ、スカシバ来る。今年はまだブンブンを見ていない。

・心斎橋のブ、天地なんばに行く。『ワイルドライフ・ブックス クモの不思議な生活』(マイケル・チナリー著 晶文社)など買う。面白そう。

・近所のスーパー、ホウボウ3尾で180円。お煮付けにしたら美味しかった。ちょっと骨が硬かった。
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わしも食べたデ。
by konohana-bunko | 2007-07-05 22:40 | 日乗 | Comments(5)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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