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ナラヒネ

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朝、新聞を取るために玄関を開けると、東に三輪山が見え、北西に遠く生駒山が見える。自転車で買物に出れば東に耳成山があり南に畝傍山がある。(方角と高さの加減で香具山だけは見えない。)夕方になれば、二上山のあたりに日が沈む。車に乗って出掛けても、山の頭の見え加減で、今どのあたりにいるかがすぐわかる。遠くに出掛けて帰って来たとき、近鉄電車の窓に見慣れた山の姿が映ると、こころがほっとゆるんでくる。
周りに山が見えるくらいで何を喜ぶことがあるか。そう言ってしまえば身も蓋もない。大阪市内から千里で過ごしたこども時代は山も田んぼも近くになかったし、そののちのわがアドレッセンスは生駒山にせき止められた排気ガスの底にあった。国中平野に引っ越してきた十二年前、(こらまたのんびりしたところに来てしもたな)と思ったが、今ではすっかり情が移ってしまった。今はもうあのへたくそなおにぎりみたいな山がないとさびしくて仕方がない。わざわざ45分も電車に乗って奈良(奈良市内)まで行って若草山や高円山を見上げて喜んでいる。何がそんなにうれしいのだか。もうこの奈良の土と緑から、フィトンチッドみたいな物質が出てるとしか考えられへん。モルヒネならぬ、ナラヒネか。
by konohana-bunko | 2008-08-28 22:51 | 日乗 | Comments(4)

元興寺地蔵会

8月24日夕方、元興寺へ。献燈供養を見に。朝、うちの方では雨だったので、お天気が心配だったけれど、奈良駅に着いた頃には雲が切れて夕陽が差した。
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18時過ぎ、元興寺に到着。今回はお祭りが土・日と重なったこともあって、もっすえらい人出。ひとごみが苦手なので、まんぷく供養(おいしいもの屋台)の時間を外して来たのだが、何のなんの。琴と尺八の奉納演奏をやっていて、境内の通路は歩く隙間もないほど……。
まずは極楽坊にお参り。
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行燈供養。ちょっぴり、夏休みのお習字の宿題みたい。
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奉納演奏のため、開け放たれた講堂の中に、「脚下徹底」と書かれた衝立が見えた。須田剋太さんの字。一つの文字が一抱えくらいの大きさ。だから、離れていても何と書いてあるかわかった。
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灯明は蝋燭よりも明るくて、熱い。風に、ゆらゆら揺れる。
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家内安全。
先祖供養。
つつましい祈りのことば。
by konohana-bunko | 2008-08-26 21:45 | 日乗 | Comments(4)

オクラ栽培日記(6)

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本日ついに収穫。実がなってから日を置いたため、種がふくらんで凸凹になっている。お皿の直径12cm。ちっさ~。
かつおパック買ってくるか?(^^;)
by konohana-bunko | 2008-08-26 20:40 | 日乗 | Comments(1)

オクラ栽培日記(5)

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2つ目のオクラの花。最初の花とあわせて、実は2つなった。

昨日、何の気なしにアクセス解析を覗いたら、「オクラ」「栽培」のキーワードでここにたどりつかれた方が何人も……(汗)。折角見に来て下さったのに、ほんまに何の役にも立たん記事で申し訳ないです。
by konohana-bunko | 2008-08-23 22:56 | Comments(2)

いきもののはなし

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朝、起きて台所に行くと、何かの気配がする。
流し台に漬けてあったガラスのコップ、半分ほど水が溜まったその中に、虫がいた。ブンブンだ。銅色の大きなブンブン。
ブンブンは六本の足を水中にだらんと開き、背中を水面から出し、浮き身の格好でじっとしていた。
(死んでんかな)と、背中をつついたら、足が動いた。
コップを持ってベランダにゆき、コンクリートの床にコップの水をあけた。ブンブンは仰向けにひっくり返っている。足をじわっと伸ばしたが、あまりじたばたしない。一晩水にはまって、相当疲れているようだ。
背中側から指でつまんで、植木鉢の土の上に置いてやろうとしたら、自分から植木鉢の縁につかまった。
ブンブンはしばらくじっとしてから、まず、右の前脚を動かした。右の前脚で、頭部をさすった。次に、左の前脚。顔(顔?)や触覚を、人間が「いやーまいりましたなー」と頭を掻く仕草のように、足でこする。次に、左の後脚を器用に反らして、丸くふくらんだ鞘翅の上を撫でる。左脚を降ろすと、また右の後脚でも、同じ動き。どうやら体の水気を拭い取ろうとしているらしい。
右前足で顔、左前足で顔、左後足で背中、右後足で背中、と、順番は時折入れ替わったが、一度に二本の足を動かすことはなかった。真ん中の一対の足は、体を支えるためだけに使っていた。
そこまで見て、あとは食事の支度をするために台所に戻った。一時間ほど経ってからベランダに出たら、ブンブンはもういなくなっていた。
by konohana-bunko | 2008-08-21 14:06 | 日乗 | Comments(4)

銅版画の日曜日

日曜日、銅版画の体験コースのため大阪へ。何でまた急に銅版画かというと……わらしべ長者みたいに話が長くなるので、「ひょんなきっかけで」としておく。まあ人生のできごと、大抵は「ひょん」がきっかけやネ。

銅版画を作るのははじめて。学校の美術の時間でも、さすがに銅版画はやったことがない。自分が忘れないために、どんな工程で作ったか書いてみる。

1)銅板の下準備をする

銅板は0.5mmの厚さのもの。これを任意の大きさに切る。今回は6cm×5cm。裏面にはあらかじめ壁紙が貼ってある。(腐食防止のため。)縁全体に金ヤスリをかけ、面取りをする。(縁で紙を傷めないため。)、表面を耐水サンドペーパーで磨く。磨いたら、グランドという液を全面に塗り、乾かす。グランドはとろっとした焦茶色の液体で、乾くと色つきの木工用ボンドみたいな感じ。

*今回は体験コースだったので、この1)の工程は先生が準備して下さっていた。

2)銅板に下絵を写す

銅板の上にカーボン紙、その上に裏返したトレーシングペーパーを重ね、ボールペンでなぞって転写する。(下絵は反転させること。判こを作る要領。)

*この時あまり筆圧はいらない。おいらボールペンで力任せになぞったらその筋まで版画に出てしまったよ。ちと失敗。

**版画にしたい絵はあらかじめ描いて、トレーシングペーパーに転写するところまで家でやっておいた。
下絵を見た先生「ほお。西原理恵子みたいですねえ」
りえぞうさん好きなのでかなりうれしい。

3)銅板に線を刻む

ニードル?(道具の名前がわからない。針の短い目打ちみたいなの)で、下絵の線に従って線を刻んでゆく。力いっぱい削る必要はない。表面を覆っているグランドをひっかいて削り取る気持ち。

*「彫る」というよりは「ひっかく」。木版画みたいに銅板を彫るのでなくてよかった。(彫れるかいな硬いのに。)

*この作業、妙にハマる。グランドは粘り気があって滑らない、銅板はつるっとしているけれど角度によっては「きしっ」と針先が喰い込む、どちらもちょっと油断ならない(いや単に慣れてないだけですが)感じを味わいながら、ゆっくり、根気よく。だんだんトランス状態に入ってくる。
先生「銅版画はね、塗りつぶす、ということはできないんです。黒くしたいところは、線を重ねるんですね」
「もっといっぱい描き込んでもいいですよ。点点点点……ってやってもええし。水木しげるの絵みたいに。水木さんの絵って銅版画に通ずるものがあるんですよねえ」
先生、水木しげるロードの写真を見せて下さる。

4)銅板を腐食させる
塩化第二鉄?茶色い酸性の液に、銅板を浸す。グランドを削ったところは液が浸みて銅が腐食し、へこむ。グランドで覆われているところは、そのまま。おぉ化学反応。
腐食が済んだら、版を引きあげ、水で洗う。ホワイトガソリンだったか、ベンジンだったか?溶剤でグランドを洗い落とす。版の完成。

*今回は1時間浸ける。

5)印刷する

版にインクをつける。インクは濃くて、ねばりのあるものを、ちょっとだけ載せる。ゴムべらでぎゅっぎゅっと、押し込むように全面に伸ばす。寒冷紗で凸部のインクを拭き取る。紙でも拭き取る。
こんなに拭いてしもて色付くんかいなと思うくらい拭く。
紙はあらかじめ水に浸したものを使う。他の紙にはさんで余分な水気を取り、刷毛で表面の水気をならす。
プレス機の台に版と紙をセットし、別の紙とフェルトで押さえ、ハンドルをぐりぐりと回す。ローラーの下を通って出てきたら、紙をそーっとはがす。これ、どきどきするデ。

*試し刷りはこんな状態。
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このあと、アクアチントという技法もやった。(魚の背景、色がついているところ。)これも面白かったけどもう説明が長すぎるのでまた別の機会に。
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風先に双魚図いたく汚れつつ彼よ彼よと廻りてやまず  清水亞彦
by konohana-bunko | 2008-08-17 22:13 | 日乗 | Comments(3)

気になった歌、気に入った本

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■気になった歌

8月12日の讀賣新聞、長谷川櫂の「四季」に取り上げられたのは

八月まひる銀の車輌は傾いて吊り革の輪のしんと打ち合う

という、加藤治郎さんの歌。
一読、わかりやすくて、好きな情景だなと思った。歌から(都会の日常の中にひっそりと開いている異界の入口)の印象も伝わってきて、いいと思う。
でも、気になるところもある。電車の車輌が傾くとき、吊り革というのはぶつかり合うものだろうか。
自分の体験の範囲で言えば、隣り合う吊り革を、両手で持って真ん中に引き寄せて、打ち合わすことはできる。でも誰も掴まっていない吊り革は、電車が傾けば一斉に同じ方向に傾き、隣の輪っかには当たらないのではないか。電車が傾くたびにぶつかり合う吊り革だとしたら、革が長すぎるのではないか。
(そんな杓子定規な読みをしてるからお前の歌はおもろないんや)と言われてしまえば、それまで。でも、一旦引っかかると気になって仕方がない。歌の嘘は現実を虚構に変える魔法。だからこそ、気持ちよく、うっとりと身を任せられる方向についてほしい、と思うのだが、どうだろう。

■気に入った本から

・川上弘美『神様』(中央公論社 1998)収載「星の光は昔の光」より、えび男くんのことば。

「あのね。星は、寒いをかたちにしたものじゃないと、ぼくは思うな」
「星はね、あったかいよ」
「星の光は昔の光でしょ。昔の光はあったかいよ、きっと」
「昔の光はあったかいけど、今はもうないものの光でしょ。いくら昔の光が届いても、その光は終わった光なんだ。だから、ぼく泣いたのさ」

・林哲夫『古本屋を怒らせる方法』(白水社 2007)収載「にぎりめしと焼き芋の愚直」より引用。

式場(引用者注:式場俊三、『文学界』編集者)は山下清の作文を『もうひとつの旅』(ニトリア書房、一九七一年)というタイトルで刊行したことがある。その本を編集しながら、ふと吉田健一の文章を思い浮かべた。《一方はヨーロッパの知性を生活のなかで身につけている数少ない教養人のひとりであり、片方は精薄施設の出で、ルンペン生活によって身につけた生きる知恵だけを頼りにして暮らしてきた男の手記である。同列に論ずることもないわけだが、不思議に読んだあと味が似ている》、そう思って一本を健一に送り届けてみた。健一の感想はこうである。
「君、拙さというのは一種の美徳だね」
そして、正確に伝えようとすると言葉が不完全になるという日本語の宿命を救えるのは拙さだけでなはいかと付け加えたという。(p211)
by konohana-bunko | 2008-08-14 22:50 | 日乗 | Comments(3)

オクラ栽培日記(4)

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実がなった!長さ3cm。
by konohana-bunko | 2008-08-13 10:48 | 日乗 | Comments(0)

駒井哲郎のブックワーク

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駒井哲郎銅版画展には、装幀や挿画の作品(本)も展示されていた。とても気に入ったので、詩だけでも、とメモをとってきた。写し間違いがあるかもしれない。
以下引用。



からんどりえ  安藤次男

地上に届くまえに
予感の折返点があって
そこから
腐爛した死んだ時間たちが
はじまる
鼠がそこに甘皮を張ると
太陽はこの擬卵をあたためる
空の中へ逃げてゆく水と
その自ら零れ落ちる魚たち
はぼくの神経痛だ
通行止の策を破った魚たちは
収拾のつかない白骨となって
世界に散らばる
そのときひとは



泪にちかい字を無数に思い出すが
けっして泪にならない

(安藤次男 『からんどりえ CALENDRIER』 書肆ユリイカ 1960 より)



愛しあふ男女  小山正孝

煙は横に流れてゐる
屋根の上をゆつくりと這ふ
邪魔をするものはゐない
猫がゐるのだがねそべつてゐるだけだ

しづかな一日もやがて夕暮れになるのです
私は街の人ごみを歩くことができるのです
私を愛してくれる人を私はお前といふことにする
遠くの窓に西日が當つてゐるのが見える

人生では愛することだけがほんたうなのに
どこにゐるのだらうかお前といふ愛の相手は
煙はゆつくりと横に流れてゐる

私の心はお前の方に近よる
私の心はお前の心によびかける
煙もお前をさがしているのだらう

(小山正孝 『愛しあふ男女』 書肆ユリイカ 1957 より)
by konohana-bunko | 2008-08-12 12:30 | 日乗 | Comments(3)

駒井哲郎銅版画展

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7月某日、名古屋に出掛けたことは前に書いた。この時、名古屋ボストン美術館に寄ったのだった。
メインの展示は「クロード・モネ展」。だいたい時系列に従って、若い時に影響を受けた人の作品なども交えながら展示されている。浮世絵から受けた影響を解説するところでは、浮世絵とモネの作品、同じ構図のものが並んでいる。見比べることができて、面白い。

絵に近づいて見てみると、ものすごく厚く塗って塗って塗り重ねられている。ようけ絵の具が要ったやろうなあ。光や風のように、うつろいやすいものを絵に描こうとしているせいか、ものの輪郭がおぼろで、眼鏡を外して景色を眺めているような気分になる。そこがちょっともどかしい。積みわらの絵、並木の絵、睡蓮の絵など、いろいろ。
運河の景色を描いた絵がいいと思った。煉瓦の倉庫があり、そこに傾いた日が当たっている。日に照らされて桃色を帯びた煉瓦の壁が、水面に映っている。そんな絵。

モネ展を出ると、隣の展示室で別の企画をやっていた。駒井哲郎銅版画展。ついでやし見ていこ、と、軽い気持ちで入ったら、最初の作品から目が吸い寄せられてしまった。銅版画、モネとはうってかわって、ほとんどがモノクロで、小さい作品ばかり。ハガキより小さいものも。でも、小さい中に宇宙がきゅっと入っているような感じ。
奥に行くと、銅版画と俳句のコラボレーションになっている。この俳句がなかなか気に入った。

汗も拭かず見てをりし画をつひに買ふ*  馬場駿吉

詩は刻の断面薔薇の棘光る*

銅版画の黝き世界に昼寝覚

落葉踏む旅心いまなほ北を指し

春暁の生みより星を釣りし夢

人もまた太初海棲桜貝

めつむれば眼玉気球となる春夜

(すべて作者は馬場駿吉。*は句集『断面』より、無印は新作。)

このあたりまで見て、フライヤーを読み直し、ようやくどういう企画展なのか理解した。馬場駿吉は医師、俳人で当名古屋ボストン美術館の館長。若い時に駒井哲郎の銅版画に出会い、親交を深める。作品を買い集めたり、句作に影響を受けたり、句集の装幀を依頼したり。そのコレクションがここに出展されているというわけ。やるな館長。
by konohana-bunko | 2008-08-12 10:10 | 日乗 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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