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読書の記録 長月

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『三文紳士』  吉田健一  講談社文芸文庫
『日記をつける』  荒川洋治  岩波アクティブ文庫
『安東次男詩集』  現代詩文庫36  思潮社
「天然生活」  Vol.45 2008.10  地球丸
「ユリイカ」  2003.4  特集 詩のつくり方
『カラスも猫も』  武田花  筑摩書房
『小さなやわらかい午後』  椎名誠  本の雑誌社
『HANDMADE TEDDY BEARS 私のテディベア(4)アレンジ特集』  日本ヴォーグ社
『日本彫刻史』  ラングドン・ウォーナー著  宇佐見英治訳  みすず書房
『第1回 資生堂ギャラリーとそのアーティスト達 没後15年 銅版画の詩人 駒井哲郎回顧展』  資生堂ギャラリー

正選は、文句なしの『三文紳士』と、『日本彫刻史』。逆選は『カラスも猫も』かな。
で、今、ものすごーく面白い本(歌集!)を読んでいる。読み了えたらここに書きたくて、ちょっとうずうずしながら、でも終わるのがもったいなくて、ちびちびページを進めているところ。いずれ、近いうちに。
by konohana-bunko | 2008-09-30 15:00 | 読書雑感 | Comments(3)

古本と

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古猫。
by konohana-bunko | 2008-09-27 22:27 | 猫是好日 | Comments(0)

他人の空似

予想外に人気のあった野良猫嬢「そんなあんた……見も知らんおジイさんと似てる言われたかて……ねぇ……」
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ちょんぴ「えらいすんまへん」
by konohana-bunko | 2008-09-24 22:40 | 猫是好日 | Comments(0)

黒い水

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台風が近づいて、雨がたくさん降った。雨の中、自転車を押して坂を上り、橋の上から川を見た。普段は水が膝丈くらいしかない川、中州や両岸に葦が繁り、ウグイやコイがいたりサギが飛んでいたりする呑気な川なのに、今日は人の背丈くらいの深さの水が、葦などみんな押しひしいで、川幅いっぱいにぐんぐん流れているのだった。それも、いつもの雨の日のような土色や、粘土質の緑がかった濁りではなく、墨を溶いたような真っ黒な水なのだ。一気に増水したためにヘドロが流れだしたのだろうか。底からわき上がり沈み込むような水の動きの中に、ちぎれた草や芥が浮かびまた巻き込まれて見えなくなる。水全体が黒い生き物のかたまりみたいに、橋に向かって押し寄せては去ってゆく。

黒い水を見ると、幼かった頃見た川を思い出す。大きな川の河口近くを、黒い水が波も立てずに流れていた。安治川だったか、正蓮寺川だったか。この光景は、今でも夢に見る。吸い寄せられそうでおそろしいのに、目が離せない水。こわくてしかたないのに、なつかしい光景。
当時住んでいた借間は海のすぐそばだったのだけれど、海は見えなかった。埋立地の上にあったその町の西側は、倉庫や工場の塀に囲われていて、こどもは海には近づけなかった。海からは、風だけが吹いて来るのだった。
by konohana-bunko | 2008-09-23 11:15 | 日乗 | Comments(0)

一重瞼

前の記事に登場したのは靭公園近くで見かけた野良猫。小さいビルの入口にちんと座って、誰かが出てくるのを待っていた。このビルの中に猫飯をくれる人がいるのだろう。
雌だろうか。ふっくらして、毛並みも悪くない。ちょっちょっちょっ、と舌を鳴らして振り返らせたら、こんな顔。
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「にゃ~ん」
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決して美人顔ではないが、(何か味があって、ええやん)と思ったのは、うちのちょんぴとよく似た顔つきだったから。腫れ瞼というのだろうか、上瞼の縁が弧を描かず、横一文字になっている。人間の顔でいえば、一重瞼。
by konohana-bunko | 2008-09-21 23:40 | 猫是好日 | Comments(4)

時間をかけてやる

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何か書きたい、という圧を内側に感じながら、ことばが出てこないことがある。折々ある。書く場合ばかりではなく、話す時でもこう、とっさには反応できない。すっすっと考えが回らないのだ。歌会に出て互評をやっても、まず気の利いたことは言わない。言えないから。大体、帰りの電車の中で(あーこねん言うたらよかったのになぁ)と、ひとりで思っている。
そう言えば自分はごはんを食べるのもゆっくりだ。猫舌の上にたくさん噛まないと呑み込めない。手作業をさせてもひまがかかる。走るのもおそろしく遅い。

こどもの頃は「早よせえ、早よせえ」と言われ続けで、困った。こどもは露骨な競争世界で生きているから、わたしはいつも最初から敗者だった。
親や先生が愚図なこどもを急かしたくなるのは無理もない。苦手だったのは万事手早い叔母で、この人はわたしと会うたびに
「遅いことなら牛でもする」
と言って、わたしの動きが遅いのを笑い、また笑われまいとあたふたして失敗し、余計に時間を食うのを見て笑うのだった。叔母に悪気がないことはわかっていた。が、からかわれるのは迷惑だった。

大人になると少し楽になった。決して人並みにスピードアップしたわけではない。自分は人よりも時間がかかることがわかったことがひとつ。人よりも時間がかかることは悪ではないと考えられるようになったことがひとつ。
相変わらず、効率は悪い。しかしやる。時間がかかる人間は、時間をかけてやるだけだ。
by konohana-bunko | 2008-09-15 23:26 | 日乗 | Comments(4)

三文紳士とか町田康とか

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本を読み終えたら(感想いうたら大層やけど、何かちょっとメモくらいは書いときたいナ)と思って、机の上に置く。置いたらその上にまた本が乗る。それも読み了えた本だけではなくていただいた本とか新しく買った本とかこれから出品する本とかどんどん積み重なってゆく。おーいアレはどこへ行った。そもそもアレとはドレや。わー崩れる。

『人生を救え!』 (町田康/いしいしんじ、角川文庫)より、対談の部分を引用。

いしい 「俺はキティちゃんなんていうてたまるか」ってひとがいたとします。「あんな猫、キティとしか呼ばん」と。このひとはえらい強情なひとで、ほかにも「うさちゃん?へっ、知るかい、そんなもん俺は『うさ』でええ!」
町田 「サザエさん?『サザエ』や!」
いしい 本屋で「サザエくれ」と。
町田 店員もわけがわからない。(「仮説の空、仮説の苦悩」p249-250)

『三文紳士』 (吉田健一、講談社文芸文庫)

これはまた滅法面白かった。ひとつひとつ短い話が多いから、まるごと書き写したいくらい。以下引用。

〈母親の声を今になってやっと思い出したりするのは、一つはこういうことがある。子供というのは普通、女に囲まれて暮すもので、叱ったり、ものを言い付けたり、したくもない勉強を無理にさせたりするのは皆女だから、女と言えば先ず一様に敵であり、敵だということから皆同じ有難くない存在に見えて来て、それで一人一人の特色という風なものは、余り印象に残らないのではないだろうか。その上に、男の子にとっては男性の魅力というものがあって、男の大人と直接の交渉はそれ程ない代りに、自分がしたくてまだ出来ないこと、例えば戦争に行くとか、電車を運転するとか、岩見重太郎のようにお酒を一斗八升飲むとかいうことは皆男がすることであり、そういう男に対する憧れから、女などは一層どうでもいい存在になって、それでいてその女とばかり始終一緒にいるのだから、母親を懐かしむなどというのは母親の味を知らない子供がすることである。それが母親も子供の方も、両方とも大人になってから色々に修正されるのだろうが、その点は家の母とのそういう期間が短か過ぎもしなかった代わりに、余り長くもなかった。(「母に就て」p10)

〈母のもう一つの特徴は子供と動物、そして動物の中では殊に犬を恐しく可愛がることだった。奇声を発してまでの可愛がり方で、その顔を可愛がられている犬や子供が驚いて見上げていた。だから母が今生きていたら、家の子供も犬も母に取り殺されていたかも知れない。併しそれ故に、子供が生まれる前に母が死んでよかったとは、まさか思う気になれずにいる。やはり、長生きして貰いたかったものである。〉(同上、p12)

写真はこの吉田健一を買った十月書林さん。
by konohana-bunko | 2008-09-11 22:29 | 読書雑感 | Comments(2)

歓喜踴躍

夕方のこと。
窓の外でぶぶぶぶ、という音がする。虫の羽音のようだが、何の虫かわからない。カナブンでもなく、ハチでもなく……扇風機の羽根に何かが当たっているような音。
気になって、ベランダに出てブッドレアの木を見てみた。ぶんぶんいう奴が来るとしたらこの木しかない。

この家に越して来た時、庭にチョウがたくさん来たら楽しかろうと思って、ミカンか、サンショウか、あれこれ迷った末、ブッドレアを植えたのだった。
ブッドレアはフジフサウツギ、バタフライブッシュともいう。特定の昆虫の食草ではないが、蜜源植物となる。タキイ種苗の通信販売で、1,000円くらいだったと思う。
春から夏にかけてよく伸び、夏の間、三つまたに分かれた枝先に次々と紫の房状の花をつける。ねらい通り、チョウがよく来る。アゲハも、ツマグロヒョウモンも、イチモンジセセリも来る。スカシバの仲間や、カナブンもやって来る。

初秋の夕方は、スカシバやイチモンジセセリの活動時間だ。しかし、イチモンジセセリは羽音をたてない。スカシバは、そばに行けば「ぶーん」とハチに似たうなりを聞くことができるが、家の中まで聞こえるような音ではない。
音は断続的にしている。いた。見つけた。花が揺れている。オオスカシバだ。
オオスカシバは花房に体をくっつけたまま、はげしく右の翅を動かしている。羽掻くたび、羽が花に当たって、ぶぶぶぶと大きな音がする。しかし、飛べない。スカシバの左の翅と胴体を、オオカマキリの脚ががっちり押さえ込んでいるからだ。カマキリは頭を下、腹を天に向け、葉っぱになりきって大きな獲物を待ち受けていたのだ。
花房が風に揺れる。カマキリは離さない。もう、スカシバの丸々とした胴体に顎を立てている。
しかしスカシバは羽たたきをやめない。タックルを受けたラガーのように、カマキリに抱きつかれたまま、少しずつ花の上を移動してゆく。よく見ると、口吻が小刻みに、小さな花のひとつひとつを探っている。スカシバはカマキリに食われながら、花の蜜を吸っていたのだった。
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二十分ほど経ってから見に行ったら、カマキリはスカシバの触角を口にくわえてかじっていた。爪楊枝を使っているように見えた。
日が暮れる。月が明るくなる。
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by konohana-bunko | 2008-09-10 18:59 | 日乗 | Comments(3)

隙間猫

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猫ちょんぴ、8月後半は食欲不振だった。いろんな缶詰を試した中で唯一お気に召したのが「モンプチの子猫用ビーフ」。見かねて生アジ、生マグロすき身などを調達して少しずつ食べさせる。9月に入って、やや涼しくなってきたからか、レトルトなども食べられるようになってきた。体重3.2㎏。

石油ファンヒーター(出しっぱなし!)と窓との隙間が最近のお気に入りスポット。狭いところが落ち着くのかねお前さん。
by konohana-bunko | 2008-09-09 21:30 | 猫是好日 | Comments(4)

「奈良散歩」を読んでニヤニヤする

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奈良の空気にはモルヒネならぬナラヒネが」などと書いていた最中、司馬遼太郎の『街道をゆく24 近江散歩 奈良散歩』を読んでいたのだった。
「奈良散歩」は、多武峯で前川佐美雄と会う話から始まる。前川佐美雄は忍海村生まれ、司馬遼太郎は幼時を母方の里、當麻町で過ごした。二人とも奈良育ち、奈良をこよなく愛した人である。以下引用。

〈奈良県といえば、明治型の立身出世にはおよそ適(む)かない県だった。たとえば明治以来、敗戦までの社会は“大臣・大将”になることが、栄達の規準とされていたし、どの県でもそのような栄達例をたくさんもっていた。たとえば山口県や鹿児島県にいたっては大臣・大将は掃いてすてるほどいた。
この点、奈良県は敗戦まで一人の大臣も出さず、大将のほうも縁がなかった。敗戦の直前に、大和五条の出身の陸軍少将がひとり出たというみごとな県なのである。
奈良県は、よくいえば駘蕩としている。〉(p188-189)

「奈良散歩」の稿の舞台は、奈良公園。廃仏毀釈前後の興福寺の話、阿修羅像を見たこと、東大寺の上司海雲師のこと、修二会の話などが出てくる。修二会について思いを巡らしながら、須田画伯と東大寺二月堂へ向かって歩く。再び引用。

〈林に入ってしまうと人影がなく、いっぴきの赤犬が気ぜわしく大湯屋のほうに駆けて行った。二月堂付近で犬を見ることがあるが、鹿の姿は見たことがない。
かれらは元来(歴史的には)興福寺・春日大社のものだから、東大寺では南大門の前までくるだけで、境内のなかまでは入って来ないようである。〉(p296)

と、ここまで読んで、(えっ!ほんまに?)と思った。思ったら、次の段落は一文字下げてこう書いてあった。

〈以下は註として書く。
このくだりが連載されていたとき、奈良市法蓮町の内田穣吉さんからお手紙をいただいた。
鹿は、南大門から中門のあいだに、毎日かなり入っているそうである。
「これとはべつに、大仏殿の西側から正倉院一帯をテリトリーとする一群があり、この群れはよく大仏池で水浴しています」
とのことだ。さらに、鐘楼から二月堂、三月堂をテリトリーとする別群がいるそうで、どうも、私の目のいたらなさを思わざるを得ない。〉(p296-297)

いやーん司馬さんたら。と、司馬ファンのわたしはニヤニヤしてしまう。(実際のところ、註に書かれた通り、東大寺にもたくさん鹿はいる。)
東大寺びいきの司馬さんにナラヒネが効き過ぎたのかもしれない。

写真は興福寺にて。鹿の角、成長期が終わって、骨のように硬くとがってきた。
by konohana-bunko | 2008-09-08 20:11 | 読書雑感 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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