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読書の記録 長月

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『空庭』(歌集)  黒瀬珂瀾  本阿弥書店
「天然生活」  vol.59 2009.9  地球丸
『本が好き、悪口言うのはもっと好き』  高島俊男  大和書房 (天地書房ハイハイ店にて)
『ピクニック、その他の短編』  金井美恵子  講談社文芸文庫
『ねこ いると いいなあ』(絵本)  さく・え さのようこ  小峰書店
『阿部完市』  花神現代俳句10  花神社  (智林堂書店にて)
『夏空彦』(歌集)  大辻隆弘  砂子屋書房
『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』(歌集)  穂村弘  小学館
『おおきなきがほしい』(絵本)  さとうさとる・ぶん むらかみつとむ・え
『文車日記――私の古典散歩――』  田辺聖子  新潮社
『ひそひそくすくす大爆笑』  中島らも 鮫肌文殊  ダ・ヴィンチブックス

『空庭』の装幀はクラフト・エヴィング商會。おしゃれだ!何の自慢にもならないことを自慢するが、わたしは黒瀬珂瀾さんの小学校の先輩、らしい。黒瀬さんが生まれた年に卒業してますが。
『夏空彦』装本は倉本修さん。大辻さんの歌集をきちんと1冊読んだのははじめて。『空庭』『夏空彦』ともに、せめて好きな歌の抜き書きくらいは……と思いつつ日だけが過ぎてゆく。

『本が好き、悪口言うのはもっと好き』は、何の予備知識もなしに、表紙買いというか、タイトル買いしたのだけれど、これが心底楽しい本だった。あたしゃ高島俊男ファンを宣言するよ。この先生に漢文習ってたらきっと漢文大好きになっていただろうに。短く引用して伝わる面白さではないのだけれど、以下引用。

《只今、病気である。
ふつうの人は、病気でない時と病気の時とでは、生活の様態がかなりちがうであろう。たとえば――、病気でない時は会社へ行く。病気の時は行かない。
わたしは、あまり差別がない。病気でない時は、寝ころんで本を読んでいる。病気の時は、――やはり寝ころんで本を読んでいる。》(p31 Ⅰ うまいものあり、重箱のスミ 「まつくろけの猫が二疋」より)

写真、手ブレがくやしい!
by konohana-bunko | 2009-09-30 10:53 | 読書雑感 | Comments(3)

歌会に行ったり、本を買ったり

○13日(日)、朝刊の折り込みチラシを見ながら朝食。そのうちの一枚、今日は地元で「まほろばの郷フェスティバル 大和三山クリーンアップセーフティー大作戦」というイベントがあるらしい。
チラシの中央に昨今流行のゆるキャラのイラストが。
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左から、ピヨ野妹子 にゃんとく大使 かぐにゃ姫。名前のダジャレっぷりに紅茶をこぼしそうになる。かぐにゃ姫は予想の範囲内だけれど、かわいいぞにゃんとく大使。そして何なんだこのピヨ野妹子。応援してまうやろ。

昼頃新大阪へ。玲瓏の歌会。ここしばらく都合で休んでいたので、久し振り。会場がとてもわかりやすい場所で助かった。わたしはよく道に迷う。
「万/萬」という兼題を見て(Wさんだったらどんな歌を詠まれるかなあ)と思ったり。
Oさんとお話したり、Fさんとお話したり。

・小若江書店鎖されてながく猫もをらず戸口に乾く万年青一鉢  あとり

ぬたぬたしたリズムだなと思いつつ、はじめに書いたかたちのまま出してみた。「小若江」は好きな地名。
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○19日(土)、店番の合間に紀伊國屋本町店へ行ってみる。本があまりにもたくさんありすぎて泣きそう。「大阪人 2009.3 特集・続々古本愛」を買って急いで帰る。

○22日(火)、所用で天理へ。並木の銀杏がもう熟している。フジケイ堂天理店で吉田健一『シェイクスピア』高橋輝次『古本屋の自画像』など買う。
by konohana-bunko | 2009-09-24 13:38 | Comments(0)

『阿部完市』 [花神現代俳句]10 花神社

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9月のはじめ、所用があって奈良へ出掛けたので、いそいそとフジケイ堂もちいどの店、智林堂さんに寄る。フジケイ堂さんでは塚本邦雄『國語精粋記』、古井由吉『長い町の眠り』を、智林堂さんでこの阿部完市を買った。現代俳人の句集を買うのは久し振り。

以下引用。

サイダーや沈没船の中の昼  (『無帽』)

白菜やところどころに人の恩  (『証』)

雲の色の象育て父空にいる  (『絵本の空』)

栃木にいろいろ雨のたましいもいたり  (『にもつは絵馬』)

かなかなのころされにいくものがたり

にもつは絵馬風の品川すぎている

きつねこころをまつさかさまにしてうらら  (『春日朝歌』)

雲の日のすぺいんのあの大胡蝶

香港の紐屋にあうまでねむられぬ  (『軽のやまめ』)

はなれきて砂糖壺には雪いれて

鱈食べているさんたまりやさまかな

いたりやのふいれんつえ遠しとんぼつり  (『その後の・集』)

引用終わり。わかりやすい、面白いといえば面白い。中でも「栃木にいろいろ――」「にもつは絵馬――」は、(俳句はよくわからないなりに)すごくいいんじゃないかと思う。
よく見ると季語のない句も多い。わたしは「よく見ないと気付かない」程度に季語に鈍感なので、その点に関しては抵抗がなかった。でも

白木蓮に酒をのませてぴーよぴーよ  (『軽のやまめ』)

と言われると、う~ん、木蓮の木にヒヨドリでも来ていたのか?しかし句としてこれでいいのか?とちょっと首をひねってしまった。



『國語精粋記』は講談社刊、政田岑生装幀。銅版画の装画がうつくしいだけに、カバーの状態の悪さが惜しい。持って帰って値札シールをはがそうとしたら、紙がもろいのと、シールの糊がきつかったのと両方で、さらにべりべりに傷めてしまった。あーあ。
by konohana-bunko | 2009-09-22 11:17 | 読書雑感 | Comments(5)

『ピクニック、その他の短篇』  金井美恵子

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『ピクニック、その他の短編』  金井美恵子  講談社文芸文庫

どこで買ったのか思い出せない。心斎橋のブかも。
素直に面白いと思えた作品と、読むのが面倒くさくてイヤになる作品と半々だったので、今回は「きちんと一冊読み通しました」と胸を張れそうにない。
「桃の園」「家族アルバム」がよかった。「豚」は傑作。



以下、引用するのは「月」という作品から。母親から「鳥を一羽とキノコ一箱を買ってきて」と頼まれた少年が、ひとりで夜の商店街を歩くシーン。

《商店街のほとんどの店はあかりを消して、入口のガラス戸や、昼の間は玩具や流行の婦人服や花の飾ってある明るい飾り窓にはカーテンが引いてあったが、どの店のガラス戸も二、三十センチほどずつ開いていて、青と白の縞柄の、丈の縮んだようなカーテンが風でふくらんだり垂れさがったりしながら規則的に揺れている。どの店の入口でもカーテンが風に吹かれて揺れ、時々風が強く吹くと、風を孕んだカーテンの布が重いガラス戸の間から、道のほうへ大きく翻って軽い心地のよいはためきの音をたて、また急にうなだれたように力を失ってガラス戸の間に吸い込まれる。》(p67)

《それからわたしは歩く速度を落し(というより立ち止まって)、商店街の黒い家並の間から丸いなめらかな月が昇りはじめ、微細な網目のように半ば被さっていた水色の薄雲が夢の速度で月の周囲に流れて薄紫色に輝くのを見た。そして、まるで唐突に、まるで頭の血液がいっぺんに退いていく時の落下と上昇の感覚が同時におこる眩暈のようにして、ひとつの考えが閃く。この今わたしが見ている月は、はじめて見る月であり、同時にこれを見るのは今が最後なのだ、という考えが浮んだ。それから、そう考えたこの今の瞬間が、他の多くのことと同じように忘れ去られてしまうだろうと考えて無性に悲しくなった。それとも、いつかこの今の瞬間、今こうして見ている月と、この道と、風と、こうして今わたしの感じているすべての感覚を思い出すことがあるだろうか。この今の瞬間から、瞬間ごとに遠ざかっているのだという思いがわたしを苦しめた。時間というものが止ることなく流れつづけ、すべてのことを取り返しようもなく過去のものにしてしまうという思いが、歩く足の一歩一歩を重くした。それでも、わたしは決してこの瞬間のすべて、この夜見たものと考えたことのすべてを忘れないでおこうと願った。歩いて来た道をふり返って、店の戸口ごとに翻るカーテンのふくらみを見つめ、夏の午後のプールの帰りのけだるい路地の夢を反芻し、その大半のイメージをすでに忘れかけていることに気づき、あわててもう一度長い商店街の人気のない通りのすべてを記憶にとどめようとして見つめるが、その間に、なめらかな黄色の丸い月は家並の上で位置をわずかずつ変えてしまいそうだし、霞網のような薄紫に光っていた雲は、ずっと遠くのほうへ流れて、灰色がかった靄のようにかすんでしまっている。》(p69-70)

引用終わり。



引用した文章を読んでいて、思い出したことがある。例えば――小学生の頃、自分は物書きになりたいと思っていたこと。ある日、虫取りをしていた草っ原で溝にはまり、胸の高さに見下ろしていたおびただしい草の穂が、一瞬にして頭上に覆いかぶさり、周囲の景色も一緒にいた友達もみんな消えてしまった(ように感じられた)ことなどを、すりむいた脛の痛みをこらえつつ(絶対に忘れたらあかん、いつか書かなあかんねんから)と思ったりしたことなどを。一体どうして物書きになりたいなどと思っていたのだろう。百歩譲って、こんなことを仮に書いたとして、誰が読んでくれると思っていたのだろう。その頃わたしは自分の願いに何の疑いも持たず、溝の底に棒立ちになって、草の芒が白く光っていたことを、必死に「覚えておこう」としていた――。
こんな過去の記憶というのは、かなり恥ずかしく、普段は決して思い出さないようにしているのだけれど、金井美恵子の文章に、うかうかと引き出されてしまった。
案外、ものを書こうと志向する人はみな、《この瞬間のすべて、この夜見たものと考えたことのすべてを忘れないでおこう》と思う性質を持っているのかもしれない。(忘れやんとこ、忘れやんとこ)とくだらない記憶を大事に抱え込んでいるこどもはどこにでもいるのかもしれない。
そしてあの日(忘れやんとこ)と思った草の匂いや日の光、ひとつひとつ思い出すことも叶わない記憶の重なりが、今から自分が書こうとする歌の一片にでも生きて顕れることがあるのなら、あながち愚かな無駄だったとはいえないのかもしれない。

夏草を漕ぎ分けてきた耳だつた風に無数の傷をもらつて  あとり
by konohana-bunko | 2009-09-21 12:22 | 読書雑感 | Comments(2)

パパのベッドに……

るい子「あのね……パパのベッドにおしっこしちゃったの!」
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「おしりペンペンされちゃった」
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「でもパパもう怒ってないって!てへッ」

ええええもう怒ってませんとも……。でもマットレスにされたので洗濯できません(TT)ネコニョーの臭いのいい消し方ご存知の方いらっしゃいませんか?
by konohana-bunko | 2009-09-17 21:12 | 猫是好日 | Comments(6)

『あまりに野蛮な』から 2

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祖父の質店は、台北市新富町というところにあった。羽振りはよかったらしい。白い帽子に三つ揃えを着た祖父の写真を母から見せてもらったことがある。
昭和13年、長女として母が生まれた。つづいて弟が二人、妹が二人。

《ミーチャが子どもをタイホクで産み育てれば、その子どもは「湾生」と呼ばれることに決まっていた。本島人の女性が内地人と結婚すれば「湾妻」と呼ばれた。長いあいだ、台湾に住みつづければ、内地人の顔の色は黒くなるのではなく、黄色みが濃い「台湾色」に変わると言われた。日本語もしだいにいい加減になっていくし、家庭料理も「台湾味」に変わっていく。内地は深刻な不況で、職を求めて内地から台湾に渡ってきても、大陸から出稼ぎに来るシナ人に押され、貧しい内地人は仕事にありつけず、果ては「ルンペン」になって、新公園や植物園に数多く住みついた。そんな内地たちと、学校の教師や役人、軍人として台湾に赴任した内地人たちとは、決して同じ内地人ではなかった。》(上巻p106-107)

ならば母も湾生ということになるが、わたしはこのことばは耳にしたことがない。
祖父一家にとって、台北で暮らした日々――それがいつからだったのかははっきりわからない――は、人生の黄金時代というべきものだった。石造りの店の奥に家があり、家には女中さんや子守さんが何人もいた。着物もいつもいいものを着せてもらった、食べ物は、台湾で手に入るものでよければふんだんにあった、何不自由ない暮らし。
大きな台風が何度もあった。台風が来ると床上浸水するので、質草はすべて上の階に移動させる。がらんとなった水浸しの店で、こどもたちは普段登ることを禁じられている、天井に届きそうな高い棚によじ登って遊んだ。
その後、祖父は兵隊にとられたため内地に戻り、上官に殴られて聴覚を失った。家族は台北に残ったが、戦況が悪くなった。空襲で両隣の家は吹き飛ばされ、建物も人もこっぱみじんになって大きな穴だけが残った。以来祖母は飛行機を非常に怖れるようになった。

戦争が終わり、家族は祖父の郷里へ引き揚げた。以来、祖父も祖母もふたたび台湾の地を踏むことはなかった。晩年の祖父は、美味しいバナナが食べたい、とよく言っていたそうだ。

写真は神戸にて、風見鶏の館の書斎。
by konohana-bunko | 2009-09-10 22:50 | 読書雑感 | Comments(0)

『あまりに野蛮な』から 1

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『あまりに野蛮な』 上・下 津島佑子 講談社 (2008)

『あまりに野蛮な』は、1931年(昭和6年)に、高校教師の妻として台北に渡った美世=ミーチャと、現代に生きるミーチャの姪の茉莉子=リーリーのふたりの物語である。
リーリーはミーチャが亡くなってから生まれたので、ふたりに面識はない。リーリーの母の遺品の中から出てきた、母の姉ミーチャの手紙、ミーチャが夫の明彦に書き送った手紙から話が進んでゆく。
ミーチャは明彦への思いを押し通して結婚にこぎつけ、夫の赴任先である台湾に渡るのだが、そこで産んだ子を失い、夫・姑との関係、台湾での生活の厳しさと病に精神のバランスを崩してゆく。交通事故で子を失った経験を持つリーリーは、ミーチャの手紙を持って台湾に行き、ミーチャの生の軌跡をたどりつつ、自分の魂の再生へ、「生きる、生き続ける」ことへの出口を探ろうとする。
強引に要約するとそういう小説になるが、津島佑子の文章のよさは、筋や理屈が朦朧とし、生理的な感覚や動揺する感情があふれでてこちらに押し寄せてくるところにある、と、わたしは思う。その押し寄せがちょっと怖ろしいような、でもそれに揺さぶられてみたいような。
読後感は、ほぼ期待通りだったとは言える。しかし『ナラ・レポート』では少年森生が現実や運命に対して反抗する姿があり、母の愛を渇望しつつついに母の存在を押しひしいで生きる=成長する姿があり、その部分があることで読み手=わたしも溜飲を下げることができたのだが、今回はそうした強い生命力を持ったこどもは現れない。主人公ミーチャが置かれた状況の息苦しさが、やや重く残ってしまった。

もうひとつ、わたしがこの小説を読みたいと思った別の動機がある。昭和のはじめ、日本の植民地だった台北の様子がどんな風に描写されているのか、興味があった。
以下引用。

《北京語の聞こえないタイホク、そこには着物をぞろりと着た日本人の女たちがいくらでも歩いていて、洋服姿の若い女たち、子どもたちも元気よく行き交っていただろう。男たちも地位が高ければ、鼻の下にひげを生やし、麻の背広を着て、パナマ帽やらソフト帽、あるいは軍帽の男たちも歩いていただろうし、学生帽の生徒たちも多かったろう。一方では、鳥打ち帽をかぶり、下駄に着流しで歩くような男たちもいたにちがいない。大工や植木屋などの職人や車引きなどは、内地と変わらない作業用のスタイルを守っていただろう。
タイホクの町には、さらに、伝統的な絹のチャイナ・ドレスを着て、髪には金の装飾品や香りの高いジャスミンの花をあしらった金持ちの本島人女性たちの姿――本当の上流女性はめったなことでは邸宅の外に姿を現さなかったらしい――も見られたし、もっと質素で、ゆったりしたスタイルの台湾服を着た老人や子どもたちの姿も、「リーヤ」と日本人たちが呼んだ「労務者」の姿も、あるいは、ウナギを意味する「ローマー」という名前で呼ばれた「ごろつき」の姿も、道を歩く人々のなかに混じっていたのだろう。
リーヤや農民たちの頭は、頭のとんがった竹の皮の笠で強い日差しから守られていた。今でも車を引いてサトウキビやピーナツなどを売る人たちとか、道の清掃をする人たちはその笠を頭にのせている。軽くて、頭が蒸れずにすむので、たぶん、どんな帽子よりもこの土地では使い心地がいいのだろう。また、本島人の多くは下駄やゾウリなどは履かなかった。つっかけのような簡単な履き物を愛用しつづけた。》(上巻p104-105)

わたしの母方の祖母は、竹富島出身の人である。島で結婚し、こどもももうけたが、その結婚を解消して単身台北へ渡った。なぜ島を出たのかは知らない。
祖父は、広島の中山間地域の農家の出身で、丁稚奉公で商売を覚え、台北で質屋を始めた。祖父と祖母は、祖母が仲居として働いていた料亭で知り合ったのだという。
昭和6年にミーチャが見たタイホクは、昭和10年頃祖父母が見た台北と、ほとんどかわりなかったのではないだろうか。
by konohana-bunko | 2009-09-08 22:46 | 読書雑感 | Comments(0)

ここしばらくのことども

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・22日(土)、黑山さん経由俳句つながりの和人さんがご来店下さる。お会いするのははじめて。「短歌・俳句で何かいい本はありませんか」とのリクエストをいただくものの、貧しい本棚でなかなかご希望に添うようなものが見つからず……。歌関係の、本当に大事な本は手放せないのであります。(そんなことを言うてたら一生ほんまもんの古本屋さんにはなられへんかもしれへんけど。)

・1日(火)夜、腿のあたりが何となくちくちくする、と思いながら就寝、深夜、腿やウエストまわりがかゆく、寝苦しい。2日(水)朝起きると何事もない。蚊にかまれたのかと思う。しかし昼過ぎから、首、胸、腕の内側、腿全体と脛、とあっちもこっちも猛然とかゆくなり、真っ赤なみみずばれ状態に。じんましん。アレルギー体質なのでじんましん自体にはおどろかないが、こんなにはげしく出たのははじめて。夜、風呂に入る頃には胴体全体が紅白のホルスタイン柄になっていた。2日(水)夜はかゆみでなかなか寝られず。その後だんだん収まって、3日(水)朝には手首や肘の内側だけになり、4日(木)にはすっかり引いた。何が原因だったかわからない。食べ物でもなさそう。何かにかぶれたのか。

・5日(土)、かねちょもさんご一家がご来店。暑い中、遠いところをようお越し下さいました。
かねちょもさんとお会いするのは、何と4年ぶり、オリヅル社さんで行われた古書くらしかさんの古本市以来。その後、風草木さんの古本市があり、先頃の大門玉手箱があり……かねちょもさんには本当に、いろんなご縁を結んでいただいてきたなあ、と胸がいっぱいになる。このブログを始めた頃は、こんな街中に出て来ることになるなんて夢にも思わなかったし……。ありがとうございます。
Yちゃんまた遊びにいらしてね。今度は小母ちゃんとお絵かきしましょ。

・これからも毎週土曜日、開いておりますので、みなさまどうぞお立ち寄り下さい。
by konohana-bunko | 2009-09-06 22:58 | 日乗 | Comments(4)

1歳になりまちた

9月3日はルイルイの誕生日。
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るい子「1歳になりまちた」
「猫が『なりまちた』なんて言えへんわ!」と思った方はこちらもご笑覧下さい。→2007年8月16日の日記
by konohana-bunko | 2009-09-03 22:40 | 猫是好日 | Comments(6)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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