<   2012年 07月 ( 12 )   > この月の画像一覧

取り戻す

c0073633_1752596.jpg
春頃から身体感覚が以前と違ってきた気がする。五感が冴えてきた(よく見えるとか聞こえるとか)というのではなく、感じたことが脳で処理されて身体に反応として出るまでが早くなってきたのだ。今までは反応が鈍かったため、自分がその対象(ひと・もの・こと)について「嫌だな」「無理かも」と思っていることに気付けないままずるずると関わり続けてしまうことが多かった。そして因果関係がわからなくなる程長い時間が経ってから、悪感情や頭痛や嘔吐に見舞われ(わたしはどうしてこんなに体力がないだらしのない奴なんだろう)と情けなく思っていた。最近は原因の後すぐ結果が身体に出るようになったので、自分がその何ごとかをこころから喜んでしたのか、あるいは実は嫌々だったのかがはっきりわかるようになった。阿呆なことをと笑ってもらっていい。今になってようやく、自分の五感と自分の身体が本当に自分のものになってきた気がするのだ。それが、とてもうれしい。これまでもかなりそうだったに違いないが、わたしはこれからもっと、世間の目や常識に堂々と背を向けて、浮世の義理を欠いて欠いて生きていくだろうと思う。ようやく取り戻した自分の感覚と身体を信じて、そして何より「天」を信じて生きていこうと思う。こうして折角生まれてきた今生、自分が本当にしたいことをやりとげるために。
by konohana-bunko | 2012-07-28 17:53 | 空中底辺 | Comments(2)

ええねん

駅から家まで自転車で帰る途中、何の前触れもなく(しあわせになればええのよな)という思いが頭に浮かんだ。あたしがひとりで自分でしあわせになったらええねん。と。確かにこどもの頃にはいろいろなことがあった。でも今は父がどう生きようが、母が何を思おうが、それはそれぞれ父と母の問題なのだ。
by konohana-bunko | 2012-07-28 16:54 | 空中底辺 | Comments(0)

水の夢ふたたび

また水の夢。川、運河、水路、あらゆる経路から水が溢れ街中が水​浸しになる夢。空は晴れ風もなく、誰も狼狽えていない。澄んだ水​底に大魚の影が見える。水族館の大水槽を上から覗き込む感じ。今​日は水中に幼ない息子達の姿が見えた。大魚に背中を突かれて笑い​転げていた。夢。私のこどもを巻き込むな。
by konohana-bunko | 2012-07-23 15:09 | 空中底辺 | Comments(0)

リュックサック

c0073633_1572997.jpg
普段と変わらぬ通勤通学の雑踏に、今日は不思議とカラフルなリュ​ックサック姿の子が多い。アンパンマンのリュックを背負った小さ​な男の子が父親に手をひいてもらっている。水玉のリュックにミニ​スカートの女の子が、友達の姿を見つけて手を振っている。そうか​、今日は、夏休み最初の日曜日だったんだ。
by konohana-bunko | 2012-07-23 15:07 | 空中底辺 | Comments(0)

解散

私が生まれる前から折り合いの悪かった父母が離婚したのは私が2​6歳の時。何でそこまで一緒にいて今更別れるのかと、その時はど​うしても理由が判らなかった。それがついこの間ふと(あの二人は​私が自立したんを機にチームを解散したのかも)と思ったら、何か​がすとんと腑に落ちて目の前が明るくなった。遡って考えれば、そもそも折り合いが悪かった父母が結婚したと​いうのも理屈で考えればおかしな話で、それはひょっとしたら、前​世で私が親になってくれと頼んだからかもしれない。だとしたら、​父ちゃんにも母ちゃんにも随分無理なことを頼んだなあ。いろいろ​あったけど、引き受けてくれてありがとう。
by konohana-bunko | 2012-07-22 15:02 | 空中底辺 | Comments(0)

裏山

c0073633_23151059.jpg
大阪万博の近くで育った。明るく乾いた人工の街に、見渡す限りの団地が並んでいた。その頃はドラえもんのアニメを見るたび(裏山って、嘘くさい景色!)と思っていた。しかしはるか後、こども達と盆地の街に住んで、裏山はあると信じられるようになった。耳成山にそっくりなのだ。のび太の街の裏山は。
by konohana-bunko | 2012-07-21 23:15 | 空中底辺 | Comments(0)

合歓の木

梅雨曇の午後。電車は平端駅にさしかかる。車窓に広がるのは草刈りの済んだ堤、青草が再び伸び始めた傾斜のただ中に、一本の木が見える。灰色の空に向かって花を咲かせている、合歓の木。あの木に心をつないで、置き去りにしたい。散歩の途中で草臥れた犬みたいに。そう思う間に、電車は佐保川を通過。
by konohana-bunko | 2012-07-20 13:47 | 空中底辺 | Comments(0)

柿の木

病院に面会に行く。母がエレベーターで病室から降りて来る。扉が開いて母と目が合ったら、もうその時点で、機嫌がいいのか悪いのかわかる。顔だけ見ればそんでええというような面会。会話はする。話は噛み合わないが、噛み合わなければならないというものでもない。噛み合わない方が平和でよろしいという意見も成り立つ。
母がわたしの従妹の名前を出す。その従妹が母の実家に住んでいると言う。それはまず、あり得ないことなのだけれど、逆らう必要もないから、
へえ、そうなん。
といい加減な返事をすると、
「柿の木があったでしょう!あの家よ」と、窘められた。
ああ、あったな、柿の木。
母もまだ覚えていたのか。と思うと、ちょっと目を見開きたくなった。
具体にまつわる記憶というのは強いのかもしれない。そんなことを思いながら帰宅。
by konohana-bunko | 2012-07-19 21:26 | 日乗 | Comments(0)

『論語』 桑原武夫

c0073633_20334832.jpg
桑原武夫『論語』(ちくま文庫)より、以下引用。

〈中国絵画にはよく「何某の筆意に倣う」といった賛がみられる。絵画を学ぼうとする者は、まず古来の名家の作品を臨摸する(うすい紙をおいて模写する)ことから始めるのである。書についても同じである。古い者を精根こめて学びとろうとするうちに、もし当人に独異の才能がありとすれば、それは必ずあらわれずにはおかない、と考えるのであって、みだりに幼稚な独創性をあわてて発揮しようとはしないのである。これは西洋とくに近代ヨーロッパの芸術精神とはすっかり違った態度である。よく中国文化の停滞性などといわれることと関係があるにちがいない。しかし、近代西洋風の個人主義の不可避的な矮小化をみせつけられることの多い現代社会においては、一種のみずみずしさをもって想起される章である。〉(p166-167 述而第七 より)

「みだりに幼稚な独創性をあわてて発揮しよう」というところで、つい、にやりとしてしまう。つまり、痛いところを衝かれたということ。
by konohana-bunko | 2012-07-19 20:34 | 読書雑感 | Comments(0)

白雨

c0073633_13511562.jpg
雨がまだ止まないのに、雲の合間から日が差してきた。雨雲のフィルターを透過しても、七月の光は強い。空全体が白く底光りを放つ。外が明るくなると、窓際に座るわたしの身体も熱を帯び、湿気と汗で湿りはじめる。扇風機がかたかた唸る。遠くで蝉が鳴く。大好きな真夏が来ている。もう、すぐそこまで。
by konohana-bunko | 2012-07-12 13:47 | 空中底辺 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
プロフィールを見る
画像一覧