『昨日の世界』Ⅰ・Ⅱ シュテファン・ツヴァイク 原田義人訳 みすずライブラリー みすず書房
本を読んでいて、その中で引用されていることばに惹かれ、引用元の本を探して読み……と、芋づる式に新しい本に当たってゆくのが好きだ。この本のことは、自分としてはめずらしく、一首の歌で知った。高橋慎哉さんの
・がら空きの車両の隅で読んでゐたカバー黄ばみし『昨日の世界』
(うた新聞2021年12月号[師走作品集]「マイーザの歌」五首より)
という歌が、それだ。
前半三分の一ほどは、第一次世界大戦前、硬直と言っていいほど安定したウィーンに生まれた著者が、文学に目覚め、大学に入ってからはパリ、ヨーロッパ各地を経めぐり、さまざまな人物と出会い、あれを書きこれを書き……という自伝が語られる。それはまるで、若い一本の樹が、ヨーロッパという豊かな世界から思う存分養分を吸い上げて巨樹に育ってゆく物語のようでもある。そして彼が五十歳を迎え、いよいよ成熟してゆこうとする時、ヨーロッパは暗転し、第一次世界大戦、第二次世界大戦の無惨さの中になだれ込んでゆく。熱心なユダヤ教徒でもない、ただユダヤ系であったというだけの人たちが、どれほど惨い運命に見舞われたか、著者は書く。彼自身もユダヤ系の、よきウィーン市民であり、同時に優れたヨーロッパ人であった。
同時進行で再読していた本の中に
〈ナチズムの成立から崩壊までの十年を、プリンストン滞在時をふくむトーマス・マンの日記でたどってみると、はじめは喜劇的なアヤフヤさのものが、ついには西欧を地獄にする軍剣の制度となる過程が浮かびあがる。〉(大江健三郎『言い難き嘆きもて』「共通の言葉を作ること」より)
という文章があった。ツヴァイクのこの本でもまさしくこのようなことが語られている。
以下、わずかながら、引用する。
そして、今日、まだ自己の道をよく知っていない若い作家に忠告を与えるとすれば、私は、まず相当偉大な作品に対して叙述者か翻訳者として使えるように説得しようとするであろう。あらゆる自己献身的な奉仕のうちには、初心者にとって、自分が創ることのうちにある以上の確実さがある。そして、人が時に没入してなすことは、けっしてやって無駄であるということがないのである。(Ⅰ p187-188 「生の万象」より)
私がロマン・ロランを時を失することなく発見したのは、偶然であった。一人のロシア人の女流彫刻家が、自分の作品を見せ、また私をモデルにして素描を試みるために、私をお茶に招待したのである。彼女がロシア人であり、ロシア人の常として時間とか約束の時間の正確さとかいうものの彼方にあるということを忘れていたので、正確に約束の四時に訪ねた。私が聞いたところによると、すでに彼女の母親の乳母だったという置いた婆さん(バブシュカ)が、私をアトリエに導き入れた。そこでは最も絵画的な要素をなしているのは、その無秩序ぶりであった。老婆は私に待つように乞うた。全体で四つの小さな彫像があちこちに立っているだけなので、私は二分間でそれらを見終わった。そこで私は、時を空しく失わないように、一冊の本、というよりもその辺に散らばっていた数冊の褐色の雑誌を手にした。それらは『カイエ・ド・ラ・キャンゼーヌ』という名であり、私はパリですでにこの誌名を聞いたことがあったのを思い出した。しかし誰が、この国に入り乱れて、短命な理想主義的な花として浮び出たかと思うとまた消えてしまう小雑誌を、いちいち追いかけることができたであろうか。私はそのロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』の第一巻「暁」の頁をめくり、読み始めたが、だんだん驚きと興味とに引き入れられていった。ドイツをこんなによく知っているフランス人はどんな人間であろう。まもなく私は、あの立派なロシア婦人が時間にルーズであることに、感謝していた。ついに彼女が近づいて来たとき、私の最初の質問は「このロマン・ロランというのはどういう人ですか」ということであった。彼女はくわしく教えてくれることはできなかった。(Ⅰ p297-298 「ヨーロッパの輝きと影」より)