最近読んでいる本 『伝えたいこと 濱崎洋三著作集』

最近読んでいる本 『伝えたいこと 濱崎洋三著作集』_c0073633_22313871.jpg
『伝えたいこと 濱崎洋三著作集』 濱崎洋三 定有堂書店

ある地域に長く住み、働きながら、糧を得る仕事とはまた別に、その地域のことを調べたり、学んだりする。調べたこと、それについての考察を書いたり、発表したりする。その中で、自分がそこにいることの意味をも考える。その行為の積み重ねの中で、自分が変化していったり、周りに影響を及ぼしていったりする。著者のような人のことを郷土史家と呼ぶのだろうか。高校の教員兼、在野の研究者である。
この本には、研究の中身(鳥取県の歴史)についても書かれているが、それよりも濱崎先生の考え方というか、この先生の「癖」(一癖も二癖もありそう)が面白いなと思った。

以下引用。

岡嶋正義に『鳥府志』を書かせた内奥の衝動は何であったのか。私にはまだわからない。ただ私が好きなのは、同書の中で彼がしばしば用いている「猶、後哲を俟つ」という語句である。彼が期待していたのは、同時代の多くの読者の眼ではなく、後代の俊秀のそれであったように思われる。(p176 「地方史研究私感」より)


普通、おとなになるとは、ロマンチシズムを脱却してリアリストになっていくことだ、といわれる。しかし、年齢を重ねていくにつれて、多くの場合、人は視野狭窄となりがちである。現実主義を通りこして、身のまわりの至近距離しか見えなくなっていく人もある。おとなとして年齢を重ねていくことには、このような危険性があるから、人は時に書物に眼を向けるのだ、と思うことがある。おとなにとって、本を読むという習慣が持つ意味の大きなものは、「自己を相対化する眼」を維持するためではなかろうか。(p430 年譜の中に引用されている「自己を相対化する眼」より)

# by konohana-bunko | 2022-10-06 22:32 | 読書雑感

文学フリマ大阪×フミノオト

以下のイベントに「フミノオト」も参加いたします。

【第十回文学フリマ大阪】
https://bunfree.net/event/osaka10/#20220925

2022年9月25日(日)
11:00-17:00
OMMビル 2階B・Cホール
(大阪メトロ谷町線・京阪電車 天満橋駅)
アクセス
https://bunfree.net/access/osaka-omm/

短歌小冊子「フミノオト」は
「Cahiers」ブース J-50 にて配布いたします。

当日会場で、「フミノオト」をどうぞお手に取ってご覧下さい。

# by konohana-bunko | 2022-09-20 22:32 | 日乗

最近読んでいる本 フランシス・ポンジュ

最近読んでいる本 フランシス・ポンジュ_c0073633_22363768.jpg

『表現の炎』 フランシス・ポンジュ 阿部弘一訳 思潮社
『物の味方』 フランシス・ポンジュ 阿部弘一訳 思潮社
『ポンジュ、ソレルスの対話 物が私語するとき』 諸田和治訳 新潮社

読んだ順番に。
『表現の炎』
今までこんな詩は読んだことがなかった。あるひとつのモノ(カーネーションならカーネーション、ミモザならミモザ、松の木なら松など)について考えたことすべてを書き出す。辞書を引いてそれについても書き出す。ふたたび対象に向かって思索を深め、それも書く。対象となるモノの概念とそれを表現することばを全部あたらしく造り変える作業を行いその過程を克明に書く。そうして書かれたものが結果として詩になっている。こんなにつきつめたことをやってみた人がおったんやなとただただ驚いていた。脈絡もない感想だけれど、モノへの迫り方が芭蕉みたいだと思った。
『物の味方』
読んでいて楽しかった。「雨」「アンタン街、レストラン・ルムニエ」「貝に関するノート」という作品が好きだった。
『物が私語するとき』
ところどころ、今のわたしでも面白いと思える部分もある。
以下引用。(20ページより)

――《詩人》とは、世間から見れば、異様な身なりをする第一人者なわけで、自分から好んで身にまとう異様な衣裳は当然のこと、たとえば批評によって押し付けられる衣裳にしても、つねにぬぎすててゆく必要がある。こうした奇妙な衣裳は拒絶せねばならぬし、容認してはならない。ただちにぬぎすてるようにしなければなりますまい。――

引用終わり。

わたしはあまり詩の本を読んでこなかったのでポンジュさんのことはつい最近まで知らなかった。先日、確か辻征夫さんの詩を読んでいて、その作品の中で名前を知った。辻さんが詩の中で「ねえ、ポンジュさん!」と親しげに呼び掛けていたので(*どの詩だったのかちゃんと調べておくこと)興味を持ったのだった。

フランシス・ポンジュのWikipedia(日本語版)のページに「言葉の垢落とし」という項目がありそれも興味深かった。

8月17日追記
辻征夫さんの詩だった。詩集『落日』所収の「雨」という作品だった。(現代詩文庫78 辻征夫詩集で確認。)ポンジュさんの「雨」という作品を引用しながら書かれた詩。「ねえ、ポンジュさん!」というのはわたしのまったくのうろ覚えで、正しくは以下の通り。

ポンジュさん、洗濯物が出ているよ!

# by konohana-bunko | 2022-08-16 22:38 | 読書雑感

最近読んでいる本 『死の日本文學史』 村松剛

最近読んでいる本 『死の日本文學史』 村松剛_c0073633_22044426.jpg

『死の日本文學史』 村松剛 新潮社

万葉集から三島由紀夫の死まで。
こんな面白い歴史/文学史の本があるのかとびっくりしながら読んだ。
あまりに広汎に深く論じられているので一度読んだだけではまったく消化しきれずこんな幼稚な感想しか出てこない。
特に興味深かった章は
・『とはずがたり』の世界 
・キリシタンの一知識人の肖像
少し時間をおいて再読してみたい。

正漢字というのは文字のたたずまいがいい。

# by konohana-bunko | 2022-08-15 22:07 | 読書雑感

短歌三十首作品「夜の佐保川」を読む

短歌三十首作品「夜の佐保川」を読む_c0073633_17284674.jpg

勺禰子さんの三十首作「夜の佐保川」を読んだのは、おそらく2021年の3月頃。PDFを印刷して、感想を少し書き込んだこの一枚が、今日までずっと机上の書類の堆積の中に隠れていた。

三十首全体を読んで感じたこと。
新型コロナの影響について、奈良(それも奈良市内、鹿と人との活動範囲が重なっている地域)に住むということについて、パートナーとの関係(とその変化)について、更年期にさしかかったことについて。
それらに対して作者がどう考えているかが、気分や雰囲気での匂わせではなく、歌の中に具体的に描かれている。そこがこの作品のつよいところだと思う。

好ましいと思った歌。

・鴟尾ひかる大仏殿を家並み越しに見やりて本、酒、魚買ひにゆく  魚に「うを」のルビ

・焼け落ちた仏頭の耳を何度でも国宝館へたしかめにゆく

少しくすぐったく感じた歌。

・憚らず奈良が好きだといふ人の多くてわたしは死ぬまで言はない

好きか嫌いかと二者択一で問われたら、わたしも「好き」だと答えるだろう。ただ、単純に「好き」と言ってしまうのは、些か軽々しい態度なのではないか、という気持ちが透けて見える。奈良に限らず、どんなに素敵な地域でも、暮らしてみればよいところもあればそうでないところもある筈。

つよく印象に残った歌。

・あれが最後だつたかもしれず地蔵会が中止になつた夜の月経  地蔵会に「じざうゑ」のルビ

・あらためる、引き締める意もあるらしき更年期の更の字を見なほす

ひとの一生に幼少年期、思春期、壮年期老年期があり、それぞれのステージを詠んだ歌がある。その中に、更年期の歌、閉経という体験を題材にした歌があるのは自然なことだとわたしは思う。特に二首目、「更年期」ということばの持つ既成の概念から自由になろうとしているところがよいと思った。
この歌を読んだ時、ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』の中で、「更年期」の文字に「ザ チェンジ」とルビが振られていたことを思い出した。

# by konohana-bunko | 2022-08-05 17:39 | 読書雑感

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり