難波津の月

何を書こうにもことばが出ない時期というものが
どうしようもなくある。
わたしはしじゅう立ち止まってぼんやりしているが
わたしの人生は立ち止まってくれない。
信号が変わったら、文句を言わずに歩くのだ。
青が点滅しだしたら早足になるのだ。

難波津の空に月を見ている。
# by konohana-bunko | 2015-09-28 20:13 | 日乗 | Comments(2)

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はすのはなちるひとひらのしづむまでゆきませうひるのひぢのみなもを
# by konohana-bunko | 2015-07-11 21:40 | 日乗 | Comments(0)

山茱萸

道の角に、柵に囲われた小空間がある。空地のようでもあり、畑のようでもある。今朝そこに、大きな木があるのにはじめて気付いた。山茱萸の木が、見上げるような高さに、繊繊とした黄の花をたくさん咲かせていた。毎日通う道、いつも見ていた筈なのに、こんなにあかるい花の木に気付かずにいたのだ。
# by konohana-bunko | 2015-03-12 19:42 | 日乗 | Comments(0)

おでん

うちでは「おでん」は「おでん」と呼んでいる。こどもの頃住んでいた北摂でも「おでん」。「関東煮」(かんとだき)という呼び方を知ったのは中河内に越して来てから。石切神社参道の店の暖簾に「関東煮」と書いてあるのを見て(どんな料理なんかな?)と不思議に思ったのが最初。
# by konohana-bunko | 2015-03-10 19:30 | 日乗 | Comments(0)

歌集『中つ國より』 田中教子

歌集『中つ國より』 田中教子 文芸社(2013)より、以下引用。

―――

生と死のはざまに浮かぶ影として水族館の夜をめぐれり

トウモロコシに粒の数だけ髭があり生の数だけ死の数はある

喘息の子のかたわらに眠る夜ゆめに巨大な樹が生えてくる

論文の中より「人」が透けて見ゆ 乾いている人 しめっている人

どのように呼んでも返事のない雲は朝の息子のようなり おーい

夢のなかに夜ごとに伸びゆくビルあれば覚めてしばらくくらくらとせり

冬の川にうつす我が影 きらきらと生れ日時の分からぬ石たち

過去の世に幾度も親を殺めたる我が魂に雪が降り積む

塩壷に水湧くようなさみしき日 島影は父海原は母

―――

近しい人――血のつながりのある「うから」へのまなざし、それをうたに詠むときの構え方にシンパシーを感じた。

・火のような楓の一樹かなしくてならないときはその幹を抱く

という歌もあった。一読、(格好いいなあ)と思った。絵になる歌というべきか。切実さの伝わるいい歌だと思うし、こううたいたくなる気持ちには共感できる。でも、わたしはこういう風には(今は、たぶん)うたえない。
「うたいあげる」のが相応う歌人とそうでない人がいるのではないか。そんなことを考えさせられた。
# by konohana-bunko | 2015-01-10 20:25 | 読書雑感 | Comments(0)

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり
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