松阪吟行

18日(日)、近鉄特急で松阪へ。ご縁をいただいて吟行に混ぜていただく。鳥羽や賢島、名古屋には何度も行ったことがあるけれど、松阪ははじめて。しかし強気。近鉄沿線だとどこへでも強気のお出掛け。内弁慶ならぬ、近鉄弁慶。
いいお天気。というか、暑い……32℃くらい?青空に、夏の雲。榛原から名張あたり、線路の両側に迫る山肌に、雲の影が次々と映ってうつくしい。名張を過ぎるともう稲刈りが済んだ田圃が。このあたり、早場米の産地で、お盆過ぎから稲刈りをする由。

松阪は本居宣長の町だった。鈴屋大人にちなんで、あちらにもこちらにも、マンホールの蓋にも駅鈴のマークが。また、蒲生氏郷が開いた町でもあるのだった。「氏郷まつり」のポスターも貼ってあった。江戸時代、松阪は紀州藩の飛び地だったとOさんに教えていただく。この近辺、紀州藩、藤堂藩、伊勢神宮の社領が入り組んでいたとも。歴史小説の世界みたい。面白い。
見学に行ったところ、松阪商人の家。本居宣長記念館。松阪城址。本居宣長旧宅。
本居宣長のこともほとんど知らなかったので、記念館に行って、ざっくりとなりにイメージがつかめてよかった。宣長さんの門人のひとりに、田中大秀という飛騨の人がいて、橘曙覧はその大秀さんの弟子。曙覧の旅行記『榊の薫』に、山室山に登って鈴屋大人のお墓に詣でたことが出て来る。

おくれても生れしわれか同じ世にあらばくつをもとらまし翁に  曙覧

松阪城址では、まだつくつく法師が鳴いていたのがうれしかった。
石垣の傍では彼岸花が咲き、花水木の実も赤く色づき、熟した銀杏が地面でつぶれて匂っている。夏と秋がごちゃごちゃに入り交じって、眩暈がしそう。でも、青空の下、法師蝉の声を聞きながら、梶井基次郎の「城のある町にて」の文学碑と出会えたのは、本当にうれしかった。

碑には

今、空は悲しいまで晴れてゐた。そしてその下に町は甍を並べてゐた。

で始まる一節が、中谷孝雄の字で彫ってあった。石碑の横に立つと、眼下に松阪の町がひろがり、町の向こうに、伊勢湾の、濃い青色の水平線が見えた。

ご一緒させていただきましたみなさま、とても楽しかったです。ありがとうございました。
by konohana-bunko | 2011-09-20 14:33 | 日乗

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり