溝蕎麦

溝蕎麦の花は金平糖のよう、と言えばありきたりだが、あのつむつむとした形も、ほんのり食紅で染めたような萼の尖も、如何にも駄菓子めいていて、愛らしい。しかし溝蕎麦を摘んで遊んだことはなかった。溝蕎麦が咲くのは田圃の脇や川の縁など、泥に足を取られそうな場所ばかりだったから。
溝蕎麦の花を見ると、昔近所にいた、同い年くらいの女の子のことを思い出す。名前も知らない子。朝晩冷えるようになっても裸足で靴を履いていた子。放課後、駄菓子屋の前でよく見かけるのだが、彼女がお菓子を買っているところを見たことはなかった。誰かと遊んだり、喋ったりしているところも。
駄菓子屋で別々のお菓子を買い、友達同士で分け合って食べるのが当時のこどもたちの楽しみだったのだけれど、誰とも遊ばずお菓子も買わない彼女に声を掛ける人はいなかった。彼女も一切ねだったりはしなかった。が、買ったばかりのお菓子を持って店から出る時、彼女と目が合ってしまうことがあった。
その都度、先に目を逸らすのはわたしの方だった。何も悪いことはしていないのに、何故か後ろめたい気持ちが兆すのだった。だからと言って大事な小遣いで買ったお菓子を、仲良しでもない子に分けることもできないのだった。後味が悪かった。周りの友達は、彼女のことなど気にも留めていないようだった。
どうしてその子が溝蕎麦と繋がっているのかは自分でもわからない。夕暮、暗い水を覆い隠して咲く溝蕎麦の花。靴を汚すのが怖くて、好きな花を摘むことができなかったわたしと違って、彼女なら躊躇うことなくこの花野に踏み込んでいけたのではないか。花摘みなんて生ぬるいことはせず、数百の棒付きキャンディのような溝蕎麦の花を、水飛沫もろとも踏み散らして走っていけたのではないか。
by konohana-bunko | 2011-10-07 16:26 | 空中底辺

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり