『論語』 桑原武夫
2012年 07月 19日
〈中国絵画にはよく「何某の筆意に倣う」といった賛がみられる。絵画を学ぼうとする者は、まず古来の名家の作品を臨摸する(うすい紙をおいて模写する)ことから始めるのである。書についても同じである。古い者を精根こめて学びとろうとするうちに、もし当人に独異の才能がありとすれば、それは必ずあらわれずにはおかない、と考えるのであって、みだりに幼稚な独創性をあわてて発揮しようとはしないのである。これは西洋とくに近代ヨーロッパの芸術精神とはすっかり違った態度である。よく中国文化の停滞性などといわれることと関係があるにちがいない。しかし、近代西洋風の個人主義の不可避的な矮小化をみせつけられることの多い現代社会においては、一種のみずみずしさをもって想起される章である。〉(p166-167 述而第七 より)
「みだりに幼稚な独創性をあわてて発揮しよう」というところで、つい、にやりとしてしまう。つまり、痛いところを衝かれたということ。