控えめに損なう

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本屋さんで本を買うと、レジの人がカバーをかけてくれる。「紀伊國屋書店」とか「ジュンク堂」とか印刷してある、あの紙のカバーだ。書皮、とも呼ぶらしい。
書皮にはいいところも悪いところもある。本を保護するのにはいいが、中が見えないので何の本なのかわからなくなる。また、本となじまないので、開いたり閉じたりする間にわさわさ動いて外れてしまったりする。どうも、落ち着かない。なので以前はレジで断わるか、つけてもらってもすぐ捨てていた。
最近はさすがに「この本も誰かの手に渡るかもしれない」という意識が芽生え、本を買った途端に帯をかなぐり捨てるという蛮行はやらなくなった。(わたしは不器用な割に「いらち」なので、本棚に出し入れする時に帯を引っ掛けたりすると、「ええいこんなもの!」となってしまうのだ。)しかし、本は汚したくない、書皮は鬱陶しい、という進退両難は続いていた。
この書皮・帯問題を一挙に解決してくれたのがグラシン紙。ヒントはやはり古本屋さんである。店で見かけたのを真似て、グラシン紙を買って来て、カバーと帯をすっぽり包んでみた。グラシン紙は張りがあるので折る時はぱりぱりわしゃわしゃとうるさいが、本に掛けてしまうと結構なじむ。帯も一緒に包んでしまっているので、帯だけ外れて落ちるということもない。何より、半透明なので何の本かわかる。いや、これは便利じゃないか。
「朗読は詩を控え目に損なう」と、魚村晋太郎さんがどこかで書いておられたように思う。それに倣って言うなら、「グラシン紙は装幀を控え目に損なう」、だろうか。ぱりぱりわしゃわしゃ、あの本にもこの本にもと被せては喜んでいる。他愛ない、着せ替え人形ごっこみたいに。

写真は住宅顕信(すみたく けんしん)の『ずぶぬれて犬ころ』。リサイクル書店の105円コーナーで、夫とわたしと同時に手が伸びた本。
あ、これもグラシン紙で(以下略)
by konohana-bunko | 2005-12-05 21:09 | 日乗

何もないところを空といふのならわたしは洗ふ虹が顕つまで


by このはな文庫 十谷あとり