本を読みながら、気になったところに付箋を貼る。読み了えて、メモを書いたり書かなかったりし、気が済んだら付箋を外す。本に(お疲れ様)と言ってやらなければならない。わたしの読書は、本に対して随分自分勝手なふるまいだと思う。
このごろはゆふべの畑に子等をやり一日にうれし苺つましむ*
『新短歌入門』で土屋文明が取り上げていた例歌のひとつ。
――この頃は夕方の畑にこどもたちを行かして、苺を摘んで来させるのだ――と、生活の中の素直な喜びを描いて、何も難解なところがない。「一日にうれし」を散文に変換すると味気がなくなるが、読み解くためにあえてすれば「(この)一日にうれしく感じることだ」といった感慨だろうか。それが「子等をやり」と「苺つましむ」の間に挟み込まれている。ここがこの歌の構造上最もチャーミングなところだと思う。
「このごろは」というさりげない初句から、一日にうれし、と気持ちを述べて、最後に現れる苺摘み。ああいいな、と思う。表記もほどほどにひらがなを交え、目にやわらかい。ことばにいちいち書かれていなくても、苺の鮮やかな赤、こどもの声、晩春の入日のほのぬくさを受け取ることができる。
作者はアララギの会員だろうか。新聞への投稿者だろうか。作者の名前は記されていない。土屋文明は簡潔に、「日に日に苺が熟れる、それを摘み家族の者が日を過ごしている裕かな生活が思われましょう。」とだけ書いている。
*土屋文明著『新短歌入門』筑摩書房(1986年刊) 40ページより引用